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CAST:ナタリア・ピオニー
ナタリア姫、グランコクマを訪れる の巻

鏡に浮かぶ面影に

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 久しぶりに訪れたグランコクマは、記憶に違わぬ水の都。
 一頃は足繁く通ったものの、エルドラントでの一件に決着がついてからは自然と……というより必然的に訪れる機会もなくなりはしたけれど。其処彼処から聞こえてくるせせらぎに、当時のことを思い出す。バチカルで公務に追われているときは日常に埋もれてしまうこと……赤い髪の、幼馴染みたちのことも。
 
 マルクト兵に先導されて宮殿を歩く。
 貴族の居住区も兼ねたこの宮殿は、キムラスカの王城やダアトの神殿に負けず劣らず広大。何処までも真っ直ぐ進み、突き当たったところで弧を描く階段を上ればいい謁見の間くらいなら問題ないけれど、それ以外の場所となると、道案内なしで辿り着けるかどうか、些か心許ない。
 そうして通されたのは、こぢんまりと整えられた庭園。
 知らぬ間柄でなし、公式の会談に先立って、個人的に顔を合わせておこうということなのだろう。このあたりの、おおらかでありながら細やかな心遣いは、とてもあの方らしい。懐かしさに笑みを浮かべれば、四阿の陰に金の髪。相変わらずの軽装で、そしてそれにも関わらず、なんて豪奢に見える方なのだろうと改めて思う。装いの問題ではない。身体の裡に何か輝くものを秘めていて、その光が挙措につれて煌めく、そんな印象。四捨五入で不惑な筈なのだけど、その若々しさといったら首を捻るほど、これもまた相変わらず。
「お久しぶりです、陛下」
「遠路ようこそ、ナタリア姫」
 お互い、軽く膝を曲げて礼を執る。随分略式ではあるけれど、これでも……旅の仲間たちと一緒くただったときよりは『それらしい』かと思うと妙におかしい。傍目にはどのように映るだろう。他国の王族としては懇意に見えるだろうか。あるいは一年ほど前と比べるとよそよそしく?
 そんな考えが面に出たわけでもない、とは思うけれど。マルクトの皇帝は兵士と給仕を視線ひとつで下がらせた。それならば、と。私も背後に控えた護衛官に軽く頷いて、同じように下がらせる。
 そうして人の気配が遠のくと、この庭の清雅な風情は際立って感じられた。
 鮮やかな緑に、映える白亜のオブジェ。足元を流れる水路と、その際に群れ咲く小花。静謐な美しさを湛えた宮殿は、ある意味当然ながらホド……エルドラントを彷彿させた。
 そう、何かの皮肉であるかのように。エルドラントはとても美しいところだった。陽射しは明るく、若草は萌え、白を基調とした建物は優美にして壮麗。それなのにどうしようもなく空虚に歪んでいたエルドラント。あの哀しいくらい美しく再生された廃墟に、私の幼馴染みたちは、今も。
 そんなことをつい考えてしまったせいか、少しぼんやりしていたのだと思う。
 さりげなく伸ばされた手に手を重ね、エスコートされるがまま席に着き。そしてそのことに動揺する。
 慣れた立ち居振る舞いゆえに身体は自然と動いたものの、それは取りも直さず、陛下の作法が完璧だったということ。軍を後ろ盾として玉座に在る皇帝然としたところ、そうでなければブウサギ捜索やおねだりを求められたことの記憶が強烈なせいか、どうも王侯貴族としては型破りというか、我が道を行く人だと思い込んでいたけれど。内心恥じつつ遅蒔きながら、この方は宮廷の主でもあるのだと思い知り、気を引き締める。
 するとそこに、ふが、と。折角引き締めたものを台無しにするような、気の抜けた鳴き声が響いた。
 この私がこれほどペースを崩されるのも久しぶりで、苛立つより先に懐かしい。
 声の主を捜せば、陛下の足元からひょっこり顔を覗かせた柔らかな桃色の影。
「その子は、ルークですわね」
「ああ」
 名前を呼ばれたことが判るのか。ブウサギの『ルーク』は数瞬、視線を此方に向けた。陛下が身を屈めて両耳の間をぽんぽんと軽く叩くと、気持ちよさそうに瞳を閉じて、そしてそのまま其処に座り込む。転がった方が早そうな丸い体躯、ちょっと困ったように情けなく見える眉位置の斑、ぴんと立った長い耳。その仕草に愛嬌を感じて思わず苦笑が込み上げる。聖獣と呼ばれるチーグルなどはともかく、食肉用に家畜化された魔物の一種を可愛らしいと思う日がくるなんて。ここで飼われているブウサギを目の当たりにするまで、思ってもみなかった。
 しかも、この子は『ルーク』。
 以前、陛下が「いい名前だろう」とルーク本人の前で剽軽に笑ってみせたことからして、名前の由来は間違いなく私の幼馴染み。マルクトの皇帝が何をどう考えたのか……それは判らないけれど、他のブウサギの顔触れから鑑みるに、名前の元となる人物は押し並べて、この方にとって特別な意味を持つ人。
 けれど、そう。特別なら尚更。
「陛下。陛下はおつらくありませんの? ……その」
「ルークやアスランを傍に置くことが、か?」
「ええ」
 私が言い淀んだことを、打てば響くように補足したことだけでも。それが、既に回答。
 現に今、ブウサギの名の元となった人物で、公然と陛下の傍にあるのはジェイドただひとり。櫛の歯が欠けるような喪失感は、想像に難くない。
「そうだな。切なく思うことはない、とは言えないが。だからこそ忘れたくない。俺はアスランが好きだったし、ルークも気に入っていた。もちろん、ネビリム先生もだ。別離には哀惜が付き纏うが、苦痛を伴うほどの相手に出会えたことは喜びでもあるだろう」
 つらくても忘れることなど勿体ない、と。陛下は大真面目に語る。その真摯な瞳で、
「ということで、ブウサギの数。まだまだ足りないとは思わないか?」
 などと続けるものだから、この方の真意は測りかねるのだ。なんとなく良い話をしていると思いきや、着地点は微妙。真剣に聞けば聞くほど振り回されるような感覚は、旅の間、忌々しいほど味わった。発露の形は多少異なるものの、この方とその懐刀の操る話術は、こんなどうしようもないところばかりよく似ている。
「……まだ増やすおつもりですの?」
 声の温度が下がってしまうのは、仕方のないことだと思う。しかし、我ながら冷ややかに響いたと思われる声などものともせず、陛下は宝玉よりなお青い瞳に夢見るような色を浮かべた。
「足りないよなあ。ガイラルディアとメシュティアリカから貰ってガイにティア、アニス。アニスは両方可愛いだろうから、暫く呼び分けに困るかもしれないが。そしてメリルに……」
「メリル?」
 延々と続きそうな候補の列に、聞き逃せない名前。思う壺だと判っていても、適当に流すことなどできず、つい復唱してしまう。
「そう、ルークに名前を付けたとき、ドサクサの事後承諾だったんだが。そのとき、それこそアスランに苦言を呈されてな。どれほどお気に召したとしても、くれぐれも、くれぐれもキムラスカの第一王位継承者とダアトの導師のお名前だけはお使いにならないよう、とな」
 順当に考えて、それはその通り。
 私自身は別に構わない。ブウサギの名前が『ナタリア』でも、それほど珍しい名前でもなし、気恥ずかしくは思うかもしれないけれど、その程度の話。でも、キムラスカの民はどう思うだろうか。他国の皇帝が、自国の姫の名を冠したブウサギを飼っていると知ったなら。拙いどころの話ではない。それは『導師』も同様。そしてルークも実は、王位継承権があるという意味で、かなり具合が悪い。まあルークの場合、長い軟禁生活の所為で名が知られていなかっただけ、まだしも、なのだけれど。
「それでメリルということは、陛下は頷いたのですね?」
 というか。ナタリアが駄目ならメリルと考えている時点で、具体的に増やす気満々。周囲の人たち、特にブウサギの世話を任されているという話も聞く、ガイの苦労が偲ばれる。
「アスランは……アスランはな。基本的に穏やかで物腰も柔らかいが、こうと決めたことに対しては譲らない奴だぞ」
「……そうでしたわ」
 セシル少将との婚約前、クリフォトで。二人の恋模様に引き回された紆余曲折に思いを馳せ、ほろ苦い懐かしさと脱力感が綯い交ぜの気分で首肯する。確かにあのときの彼は、柔和で、一見謙虚で、そして最後まで諦めずに押し切った。
「で。話題に出たところで念の為、先回りでお聞きしておくが。名を頂いても宜しいかな」
「メリル、ですか」
 陛下の足元に擦り寄る、ルークの姿を見て思う。初めて見たとき、陛下の私室、その窓辺でぽつんとしていた、この子。それが、ここまで懐くなんて。溝を埋めるように手間暇を掛けて、可愛がられていたに違いない。
「もし私がもうひとつの人生を歩むことがあったとしたら。そう名乗りたいと思うほど、よい名前ですわ」
 行き場をなくした、私のもうひとつの名前。その名前の持ち主が……それがたとえブウサギでも、愛されて幸せに過ごすなら。それもひとつの鎮魂であり、祝福だと思う。私はそう思うけれど、あの……私と同じ瞳の色をした黒獅子はどう思うだろうか。弓と戦斧で語る間柄だったとはいえ、剛毅にして大度、そのように感じられた……人。喜ぶかどうかはともかく、苦笑ひとつで済ませる……そんな気がする。
「どうぞ、可愛がってあげて下さいませね」
 にこりと微笑めば、意表を突かれたとでも言うように、軽く瞠られた瞳。表情豊かな方だけれど、このような顔は珍しい。けれど何故?
 不思議に思い、会話の流れを反芻する。ルーク。ブウサギの名前。メリルという、もうひとつの私の名前。可愛がってあげてと承諾し……て……、ああっ!
 『メリル』を『可愛がって』、だなんて。
「あ、あああの、これは、その」
「心得た」
「違いますわそういう意味ではありませんわっ!」
 含みを持たせながら口の端を吊り上げて。面白そうに煌めく悪戯な瞳に、尚も言い募ろうとすれば、そのまま「さて、では軽く一仕事。打ち合わせを済ませてしまおうか」などと話を切り替えることでいなされて。その呼吸も記憶通りの鮮やかさ。私も昔のままであるつもりはないけれど、なかなか敵う相手ではない。
 思い返せば、ルークはこの方が苦手だと言っていた。
 アッシュは、どうだろうか。負けず嫌いの彼のこと、苦手だと口にすることはなかったろう。けれど、得手ではないと思う。性格は全くと言っていいほど違うのに「この国を変えよう」と語ったアッシュの理想に、陛下は……過程はともかく結果として、かなり近い為政者だと思う。だからかえって、余計に反発するかもしれない。そう思うと、肩の力が抜ける気がする。
 陛下の言う、切ない、けれど忘れたくないというのは、こういう気持ちでもあるのだろう。この人ならこう考えるだろうと、そう想像することは、まるでもうひとつの心。そして、心の中の人たちに恥じぬ自分でありたいと思えば、己を映す鏡にもなる。ああ、きっと。この鏡こそ、この方が裡に持つ、光の正体。
 見ていて下さいましね、私の大切な幼馴染みたち。いつか私は、この方と肩を並べてみせます。
 
 決然と顔を上げれば。
 鷹揚な笑みを浮かべる皇帝の腕に抱かれて、『ルーク』は頷くように耳を揺らした。

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【あとがき】
最終戦の一年ほど後、ED前くらいの出来事を想定しています。やっぱり『ナタリア』と『イオン』はアウト、『ルーク』もギリギリだと(いや正直、これも拙いだろうと……)思いますですの。
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