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CAST:ガイ・ピオニー
ガイ、風邪をひく の巻

※ほんのり女性向けな雰囲気がなきにしもあらず

林檎と潜熱

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 風邪をひいて、それで寝込むなんざ何年振りのことだろな。
 ホドの顛末に一応の終止符を打った安心感、マルクトでの新しい生活に慣れ始めた油断。そういう、気の弛みは確かにあったとは思う、が。
 毛布にくるまり、寒いのか熱いのかよく判らないまま、夢だか現だかの狭間をうつらうつらと彷徨う。
 そんな具合だったからか。こつこつと控えめなノックの音に返事をしたのは、夢の中のことかもしれないと思ったのだ。扉を開けて部屋に足を踏み入れたのが、ここに在るはずのない人だということもあって。
「よう、ガイラルディア。生きてるか?」
「へ、いか……」
 一拍の後、身を起こそうともがく。ままならない我が身に内心舌打ちすれば、大股に近寄って来た陛下に額を抑えられ、大した力も込められていないその手に負けて枕に沈む。
「そのままで構わない。……ああ、やっぱり熱、かなりあるな」
 そうなんだろうな、と溜息をつく。暖かな印象しかない陛下の掌が、ひんやりと心地よく感じるなんて。
「どうして、ここに」
「見舞いだ見舞い。決まってるだろ」
 このとおり定番の林檎も持参だ。籠を掲げて、そう偉そうに胸を張る。や、実際偉い人で、それこそ玉座に在るときなど偉そうなんて言葉じゃおっつかないほど威厳のある人なんだが、こういうときは妙に子供っぽい。
「聞けば今日、何も食ってないんだってな。剥いてやるから、食え」
「そんな、陛下に」
「まさか、俺が剥いた林檎が食えないとは言わないよな?」
 この人は。こういうのを確信犯というんじゃなかったっけか?
 陛下は応えも待たず、さっさと寝台の端に腰を下ろし、籠の中からエンゲーブ産を示す焼き印の押された林檎をひとつ取り出した。そして、俺もさ昔風邪ひいて寝込んだときにネフリーやジェイドやサフィールが見舞いに来てくれてな、いつも優しいネフリーはともかく他の二人まで妙に気を遣ってくれて、それがおっかしいやら嬉しいやら……そんなことを取り留めなく喋りながら、するすると皮を剥いていく。どうやらナイフも抜かりなく用意してきたらしい。存外器用な指先を、見るともなく見つめる。艶やかな林檎、銀の刃、整った爪。くるくる渦巻く赤の螺旋。
 ほれ、口あけろ、と。一口大に切り分けられた林檎を目の前に突きつけられて我に返る。
 どうやら、数瞬、素で呆けていたらしい。
 言われるまま顎を心持ち上げて、フルーツフォークに刺さった林檎をぱくりと銜える。口を閉じればそれを見計らって繊細な銀器はすうっと引き抜かれ、滑らかな感触のみ唇に残した。一欠片の林檎すら持て余しながら咀嚼し、ゆっくり嚥下する。食欲がないのは相変わらずだが、瑞々しい果物の冷たさや、仄かに酸味のある果汁が火照った咽を滑り落ちる感覚は気持ちいい。
「ありがとう、ございます」
 そのままで構わないと、その言葉に甘えて。重い頭を動かさず、視線だけ向ければ。戸惑うような気まずいような、微妙な表情。
「どうか、しましたか?」
「いや、嫌がるかと思ったんだが」
 首を傾げる。陛下が、わざわざ様子を見に来て下さるなんて、恐縮なことではある。風邪を移しでもしたら申し訳ない。そうは思うが、やっぱりこう弱っているとき、誰かに心配してもらったり傍にいてもらったりというのは、とても心強い。どこから嫌がるという言葉が出てくるんだ?
 問答無用の強引な態度も……本人の気質が混ざってないとは言わないが、無理にでも食べた方がいいとの気遣いだ。あまつさえ、本当に手ずから林檎を剥いて、食べさせて……くれて……
「あ」
 そう、か。迂闊だった。これはいわゆる「あーん」ってやつか。嫌がる云々はさておき、いつもならもう少し違った反応をしたろうが、今はなんだか意識に霞が掛かったようで、良くも悪くも現実感が薄い。まだ夢の中にいるような気すらする。でもまあ、一般的な成人男子としては、まして相手が年上の男性というのは。
「……確かに、恥ずかしいですね」
 そう呟けば、陛下は僅かに眉を顰めた。
「お前、見た目より調子が悪いみたいだな」
 そう言いながら、もう一度額に手、を。
 やっぱりとても気持ち良い。それは温度だけの話じゃなくて。
 それを伝えたいのに、声が、言葉が出ない。
 一度冷やされた咽は反作用の如く熱を孕み、吐息にすらひりつく。けれどこの灼けるようなもどかしさは、林檎のせいじゃあ、ない。
「すまない、俺は見舞い向きの人間じゃないってことは自覚してるんだが」
 見舞い向きの人間てどんなだ。
 いや、そうじゃなくて。謝ってもらう必要なんか全然なくて。くそ、考えが上手く纏まらない。
「これで退散するから、ゆっくり休め」
 そんなことを言いながら、そんな風に笑わないでくれ。
 俺は……そう。畏れ多いと、寝込んだ不甲斐ない臣下にかかずらうなんて困った陛下だと、そう思う一方で。この人が来てくれて、それこそ夢のように嬉しい。きっと……風邪をひいた小さな皇子様が、見舞いに訪れた友達に、望むべくもなかった幸福の形を見いだしたのと同じように。……いや。同じでは、ないか。
 体温が上がる。目が眩む。身体が軋む。指先まで、毒のような鈍い痺れが回る。熱と痛みに冒されて、苦しい、のに、切ないように幸せで。万民に向けられる青い瞳、けれどその手元には俺のための赤い林檎。手を伸ばしてもいいのだと、うっかり勘違いしちまいそうで。ひたひたと甘い哀しみが心を満たして、溢れそうになる。
「林檎は、まあ食えるようなら食って……」
「食いたい……」
 するっと。そんなことを口走っちまったのも、額から離れた手に思わず縋ってしまったことも。
 そうだ全部熱のせい。身を焦がすのは果たしてどの熱だという理性のツッコミは無視。潜在意識だの自覚の有無だの、何かが脳裡で瞬くような気もするが、今ならすべて譫言の戯言。
 そう。この人にこんなこと言うなんて言えるなんて多分これが最初で最後の機会、だから。
「食べさせて、ください」

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【あとがき】
残しました、想像の余地(笑)
そして一応、こう、直裁な表現は回避したつもりなんですが。ほんのり女性向けとコーションも入れてるので、いいですよね。ということで、熱で思考回路が破綻したガイに「食べさせて」と言わせてみたかったお話でした。「食われて下さい」じゃないのは最後の理性。いっそのこと「林檎の毒ならくちづけを強請っても云々」とか言わせようかとも思ったのですが、オールドラントに白雪姫な昔話はあるのかとか思って……嘘です、単に私が耐えられなかっただけです。「あーん」だけで精一杯……。
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