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CAST:老マクガヴァン・ピオニー
元帥と殿下、チェスで対戦 の巻

盤上の駒

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「なあ、マクガヴァンのじーさん」
 現在マルクト軍を統括するこの自分を、そのように呼んで憚らぬのは、ただ一人。
 声自体は年相応に低くなりはしたものの、昔と変わらぬその響きは懐かしい。
 母親の美貌を色濃く継いだ幼い皇子は非常に愛らしい一方、物怖じしない子供だった。厳めしい軍服と、軍人特有の武張った姿勢にも頓着せず、『じーさん』と懐かれては困惑した。もとより色素の薄い己の髪や髭は経年による白髪白髭のようでもあり、幼い子供の目には『じーさん』に見えても仕方ないと承知の上で、まだそう呼ばれる歳ではないと大人げなく思いもした。しかし、その子供が政争に巻き込まれ、ケテルブルグへ追いやられたと知ったときは、もうそう呼ばれることはないのだと、胸に隙間風が吹くような寂しさを覚えた。
 その、皇子と。再び此処グランコクマで相まみえようとは。
 豪奢に煌めく金の髪、青い瞳は記憶にある色そのままに。酒の席に誘われ、もうそんな歳かと眩暈を覚え。そして旧交を温めるうちに、幼い頃の美点をそのまま伸ばした気質は皇子という肩書きに遜色ないものと知り、嬉しく思いもした。だからこそ、いっそ。この華麗なる茶番劇の舞台へは戻られぬ方が良かったのではないかと、そう思うこともある。
「じーさんの手持ちから、軍人をひとり、紹介して貰えないか」
 そう、このような穏やかならざる相談を持ちかけられるような夜は、特に。
 古書の薫りが醸される小作りな遊戯室。さやけき月明かり。手元には馥郁たる美酒。64の桝を市松に塗り分けた盤を挟み駒を指しながら交わされる会話は、もう少しばかり高尚高雅であっても一向に差し支えないのだが、そういうわけにもいかぬらしい。
「はて、この老い耄れに問わずとも、殿下は軍に私的な御友人がおるのではないですかな」
 研究所で目覚ましい成果を上げる茶の髪と白の髪。ケテルブルグ出身だという二人の姿を思い浮かべながらそう返せば、その耳の良さ早さで何が老い耄れだか、と肩を竦める。
 ただ……と、殿下は盤上の駒、白のナイトを摘み上げ、冷たい石の感触を楽しむように指先で玩んだ。
「じーさんの言う『私的な友人』たちは今、俺どころじゃねえからな。まあ、それが落ち着いて、その後も軍に残るというなら、考えないでもないが」
 取り敢えず今は保留。そのような調子で駒を置く。
「ふむ。それでは、どのような者をお望みか?」
「口の堅い生真面目な奴で、士官、或いは士官候補生がいいな」
 士官、或いは士官候補生。
 つまり、階級はそこそこでも、ある程度は権限のある……といったところか。
 さてさて。これは思案のしどころと、髭を扱く。
 10代の殆どを、幽閉も同然に過ごした皇子。年端もいかぬ頃の、少女めいた容貌を覚えている者は多かろう。現在の御姿に純粋な好意を抱く者も、下心たっぷりに取り入ろうとする者も。しかしながら現在、殿下は貴族院に明確な後ろ盾を持たない。好むと好まざると人脈が発生しやすい時期に中央から遠ざけられた、その結果がこうして顕れている。だからこそ、殿下は元帥を拝命しているこの自分と、差し向かいでこのような話をするのだ。勢力を確保するには、ひとまず軍部くらいしか割って入る余地はない、と。軍が政治に関与しすぎる……その危険性は重々理解した上で、面白い、と思う。この皇子が何処まで行けるか、興味もある。
「ならば、うちの倅は如何ですかな」
 黒のビショップを移動させながら。試しに、そう振ってみる。
 すると殿下は、面白そうに口許を歪めた。
「策士だな。だが、良策と言ってやれないのは残念だ。これから先、軍人としての栄達は望めなくなるかもしれないぞ。最悪、俺に何かあったときは……」
 かつん! と。白のナイトが黒のナイトを弾く。
「倅なら、このわしがぎりぎりのところで拾ったとしても、さほど波風は立ちますまい。少なくとも、他の者よりは」
 その、白のナイトを黒のポーンで取り上げれば、
「は! 身も蓋もねえな!」
 と、快活に笑う。その声に、些かの翳りも含まれないあたり、つくづく陽性の強い御方だ。
 かつりかつりと駒が盤面で踊るさまを眺めながら、考えを纏める。殿下は否とは言わなかったが。『元帥の息子』は、使う者にとって、利も不利も多かろう。士官候補生で事足りるなら、却って枷になるやも知れぬ。
「逆に、宜しいのですかな?」
 このわしの息子で。
 敢えて語尾を加えず、視線のみで問う。
「まあ、俺の目で見させては貰うが。じーさんの折り紙付きだろ?」
 意味を把握した上でのらりくらりと着地点をぼかした答えに、片眉を上げる。まあ、判っているなら、とやかく言う必要もなかろう。
「……いつ、引き合わせましょうや?」
「ああ、それはいい。じーさんさえ含んでおいてくれるなら、あとは俺が勝手に口説く」
 ひらひらと手を振りながら、軽やかに宣う。
「ほう。では、この盤面はどう解釈しますかな」
 盤上に散る、30の駒。黒のキングは現在、キャスリングしてc8に、クイーンはe7に。白のキングはe1、クイーンはc2。定石とまでは言わずとも、見覚えのある盤面は、どうやら単純な勝ち負け以外のものも内包しているようだ。
 相手の思惑に乗ってみるのも一興と、黒のポーンをhの4に動かす。
「……h3白のポーン、黒のナイトを取ってg4」
 果たして、殿下は伸びでもするかのように椅子の背に凭れ、それだけ言った。最早、駒に触れようともせず。
 『目隠し』とは小癪だが、なに、下手を打たねばあと数手で黒の勝ち。深く腰掛け直して、腹の上で指を組み合わせる。
「倅の代わりに、勝ちを譲られたかと思ったのじゃが。h4黒のポーン、白のポーンを取ってg3へ」
「代わり、ね。案外皮肉家だな。h1白のルーク、g1」
「軍人とは駒そのものですからな。それは、わしも違わず。h8黒のルーク、hの1へ」
「欲しいのは、駒というより狗だ。g1白のルーク、h1、黒のルークを取る。単なる駒なら、口説く必要もねえだろ」
 目で見る、とはそういうことか。
 ある程度の立場、ある程度の権限。殿下の意を受けて、その場の下士官を払う程度は必要だろう。しかし、それだけでは足りぬのだ。軍人ならば、上からの命令に対する絶対服従は基本。だが、単に命令に忠実であるというだけでなく、時と場合によっては命令そのものより命令の意図を汲み取り行動することが求められるならば、信頼やら忠誠やら、数値では計れない結びつきが必要だ。成程、駒ではなく狗か。そして、生真面目はともかく、口が堅いことを条件とするような人材が入り用だとは。
「……物騒なことじゃ。g3黒のポーン、g2」
「まぁな。h1白のルーク、f1。俺の周囲の生臭さは、じーさんも承知の通りだ。だから……一度鎖に繋いだら、じーさんより俺を選ばせることもあるだろう。……それでも、いいか」
 この言様を、率直な誠意と取るか、飼い慣らす自信と取るか。まあ、両方だろう。
「律儀じゃな。e7黒のクイーン、hの4へ。……あれに尻尾を振らせられるなら、わしに否やはありませぬ。好きになさるが宜しかろう。……チェック」
「すまないな。e1白のキング、d1」
 媚びるでなく、阿るでなく。淡々と、微笑すら浮かべて、投了までの道を刻む。
 大局を見失わず、勝ちを譲ってみせる……負け戦をも制御する若者の度量に、内心唸る。
 負け戦……そもそも、負けとは、何を指すのか。そう……近年、キムラスカとの諍いで、マルクトは何を得たか。目先の利に眩み、10を奪うために100を失ってはいまいか。しかし、この皇子は、価値のある敗北というものを御存知だ。虚しい勝利より、実ある敗北を選べる御方……これからの時代に新しい風を吹かせるやも知れぬ、御方。
 その御方は、この自分に筋を通したものの、息子に関しては自ら口説くと仰る。ならば、この勝負の俎上にあるもの……殿下が勝ちを捨てて得ようとしているもの、それは息子ではなく。
(なかなか、やりおる)
 久々に快い敗北感を味わいながら、恭順の証に、定められた勝ちを拾う。
「g2黒のポーン、白のルークを取ってf1へ、クイーンにプロムナード、チェック。……わしの負けじゃ」
 大袈裟に手を広げてみせれば、返ってきたのは何だかんだと言っても負けなど似合わぬ不敵な微苦笑。
「そりゃこっちの台詞だろが、じーさん」

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【あとがき】
グレンの勧誘話の筈が最後の最後で違うところに着地。
ピオニー殿下がグランコクマに戻った直後くらいは、ジェイドもサフィールもフォミクリーまわりの諸々で、心情はともかく状況として、ぶっちゃけピオニーどころではないと思います。とはいえ、ピオニーの身の回りも色々と、そりゃもう色々と剣呑でしょうし、そのあたりを承知しておいてくれる信頼できる護衛というか腹心は欲しいと思う、思うに違いない……ということで、老マクガヴァン経由でグレンに振ってみたのでした。

チェスは、実はやったことありません。一応、実在の某棋譜を参照しているので、駒の動きに問題はないと思うものの、言い回しは怪しいです。ブラインドチェスも、チェスができる人ならこんなまどろっこしい言い方はせずに、「b3」「e5」「ビショップb2」「ナイトc6」とか、端的に片付くとは思うのですが、それだと(私が)何やってるのか判らなくなって混乱するので、駒の動きは馬鹿丁寧に追ってい(ると思い)ます。
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