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ジェイドとピオニー

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「よ、ジェイド」
 死霊使いと渾名される軍人の執務室へと続く抜け道、そんなものを常用するのはただ一人。
「またあなたは、このような夜更けに出歩いて。仕方のない人ですね」
「またおまえは、こんな夜更けまで机に囓り付いて。さみしい奴だな」
 いつもの軽口。そしてお決まりのように巣……定位置へ陣取るかと思いきや、マルクトの主はそのまま『正規の』扉へと向かう。
「……どちらへ行かれるので?」
 首を傾げながら筆を置いて向き合えば、
「さあな? おまえはどうする?」
 と、来ないわけないよな、と言わんばかりに笑う。
 そう、行かないわけにはいかない。軍本部や宮殿周辺の警備は特に厳重とはいえ、この人を、一人歩きさせるわけにはいかない。
 溜息ひとつで気持ちを切り替え、机上の書類をざっと纏め重ねた。

「いい月夜だ」
 踊るような足取りで、夜の中を歩く。
 微酔に身を任せるように、ゆうるりと、緩やかに。
 酒精の匂いは、しない。しないが、妙に浮かれて見える。
 ……何か、あったのだろうか。
 懐刀、或いは幼馴染み。そのような肩書きで周囲に認識されてはいても、自分は結局、職分的には一軍人……佐官でしかない。この人の抱えるものの全てを知るわけではなく、また、知ってはならないこともある。この皇帝は、その、公私の線引きが巧い。この自分が主と仰ぐのだ、そのくらいは当然……けれどそれを、幼い子供の感傷で、もどかしく思うときもある。そう、このような、冴えた青い月の夜など。さて、些か持て余すこの手の感情を自覚するようになったのは、幸か不幸か。
「ルナの光が」
 夜の静寂に、寄り添うような囁き。それに惹かれ、半身を浸していた物思いから浮上する。きちんと聞いていますよと、答える代わりに眼鏡を直せば、どうだかというように肩を竦めた。そしてそのままふうわりと身を翻す。その動作に連れて金の髪が舞い、燐光が散る。
「……雪明かりのようだな」
 ぽつりと背中越しに落とされた、その声が描くのは、今はもう遠い故郷。
 何があったのか、知らない。しかし、この幼馴染みが自分を連れ出した理由は判った。
 ……まったく、難儀な人だ。
 普段、どうしようもないところでは疲れただの面倒だのと騒々しいくせに、本当につらいときほど、それとは見せず……表に顕わす最大限の弱音がこれ、というのは。
 それはこの人の強さか、或いは弱さの裏返しか。定かではないが、その性質に呆れながらも苦笑する。しかし、そのやれやれという軽い諦めに似た気分は、決して悪いものではない。そう呼んで差し支えないか判断しかねるほど幽かな甘えに、心臓を撫でられるような高揚すら覚えるのは、我ながら末期的。
 絆されているような、それすら手の内で踊らされているような。
 まあ、いい。どのみち、下手な駆け引きなど、この人の前では無駄に等しい。
「……そうだな、ピオニー」
 まるで『雪明かりのような』月の光に託けて口にするのは、散ることなく咲き誇り、誰の手にも折れぬ花の名。

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雪月花時最憶君。
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