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ガイ・ピオニー

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 不用心だな、と、思う。

 まるで迷路のように造園された薔薇の庭。最短で抜ければ却って近道なんだと言って、数歩先を行くのは脱走の常習犯、もといマルクトの今上陛下。やっぱり不用心だと思う。丸腰で、ホドの生き残りである俺に背を向けて、それでもって俺はいつも通り腰に剣を帯びていて。
「なあ、ガイラルディア」
 暢気な声で俺の名を呼び、歩みを止めて振り返ったかの君は。
「俺は、強いぞ?」
 緩く口の端を笑みの形に歪め、1対1の近距離戦でジェイドに競り負けない程度には、とかなんとか宣う。
「だから。間違っても衝動で動くなよ? 再三だが俺は強いからな。来るなら相応の意志を持って、一撃必殺の覚悟で来い」
 ぎくりと息を止めて、己の仕草を反芻する。
 手先も、目線も。それと感じさせる不用心な振る舞いをした覚えはない。
 ……この人、どういう勘をしてるんだ?
「なぜ、」
 軽口としてさらっと流してしまえばよかったのに迂闊にも驚愕のままそう問えば(でも仕方ないとも思うのだ、あまりにも意表を突かれたし、おそらくは計算ずくでこんなことを言い出したこの人が苦し紛れの逃げを許してくれるとも思えないし)、
「ま、今まで生き残ってきたのは伊達じゃねえからな」
 と、理屈に合うような合わぬようなの大御言。
 てか、そこは。諦めろとか無駄だとか、止めるべきところだろ。一撃必殺の覚悟だなんて、そんな、唆してどうする。
「なぜ、そんなことを、俺に」
 にんまりと。たちの悪い笑みを浮かべたまま、至尊の君は三歩の距離を更に詰める。
 そして、俺の耳元で。咽を震わせず吐息に言葉を乗せて、
「お前の剣が俺の首を刎ねるなら、それもいいかと思っちまったのさ」
 などと囁く。畜生、あんまりだ。
 なんていうか、俺としては。マルクトという国に対して思うところがないわけではない。しかし、それで陛下をどうこうというのはお門違いだと思うのだ。
 けれど、正直。ホド云々という屈託とはまた別の、自分の感情の一番昏いところで、この人の首には興味がある。己の手でなによりも大切な人の命を奪う、そのようなことを快楽と認識しながら夢想する倒錯的な感情が自分の中にあるなんて、この人に会うまで知らなかった。後世の歴史家にホドの遺恨がどうのと適当な解釈をされながら、ピオニー九世陛下の名前とともに大逆人としてでも己の名が残るかと思うと、浅ましい高揚さえ覚える。
 まあでもそれは……ぐるぐる渦巻く妄想は、ミもフタもなく言ってみりゃあ自慰と大差ない。実質的には抑えが利かないわけでは、ない。
 それでもこう、
「俺を繋ぐ玉座の頸木、それをお前が断ってくれるなら」
 なんて。
 髪が頬を掠める位置で。
 免罪符をちらつかせ、煽る真似はやめて欲しい。
 この人にとっては他意のない間合い……ちょいと人様の耳を憚る話だからってただそれだけなんだろうけど。肌を擽る誘惑に、思考をごっそり持っていかれる。
「……それは本心ですか」
「うんまあ嘘ではないな」
 いっそ無邪気に紡がれる、躊躇いのない言葉。
 ああもう、酷い人だ。
 フェアでなくてもいい、嘘だって構わない。それより俺は、信じさせて欲しいのに。
 己の賤しい妄執など取るに足りないことなのだと……いまここにこうしていること、それが、なによりだということを。
「ただ、嘘じゃあねえが、優先順位は低い。てか、俺自身の感傷で揺らぐくらいなら、はなっから皇帝なんざ張ってねえ。というわけで、簡単にやれると思ってくれるなよ? 俺は俺で全力で抵抗させてもらう。まあ最低でも相討ちくらいは織り込んでおけな?」
 ゼロ距離で吹き込まれる、軽やかに冗談めかした……けれど単なる戯れではない言葉に、背筋を撫で上げられるような、悪寒にも似た快楽を覚える。
 俺は、そう、かなり腕が立つと自負している。それに慢心するのはみっともないことだと思うが、やはりどこかで驕っていたのだろう。相討ちというのは考えていなかった。
 この人は強い。それは言われるまでもなく、この人の立ち居振る舞いを見ればおのずと判る。けれど、個人の技量としてなら引けを取るつもりはない。その程度の実力と自信がなければ、そもそも一貴族の俺が、護衛官よろしく帯剣してこの人の傍に控えたりはしない。
 でも。この人の本領は決して腕力などではない。この人の力は権力……というとまたちょっと語弊があるが、要するに、人を支配し使役する力。それに先を読む力とか視野の広さだとか……、この人が本気で持てる力を揮うなら、相討ちどころか返り討ち。俺なんか一捻りでポイだ。
 ……あ、駄目だ。ほんと今の俺はどうかしてる。
 この人と刺し違えるなら……この人が俺の首を刎ねるならそれもいいかなんて、そんな心中めいたことを考えて……って、待て待て。それはさっきこの人が俺に……、あれはホドの仇としてということだとばかり思っていたが、こういう意味も含まれていたりしたのか、ひょっとして?
 うあ、くらくらする。あるはずのない二人分の血臭に酔いそうだ。
「……まあ、あなたになにかあったとき、俺が生きているとも、生きていられるとも思いませんが」
 一瞬脳裡をよぎったのは、この人の側近たちの姿。だから言葉通りそのままのつもりだったけど……口にしてから、なんだか凄い科白を吐いてしまったことに気付いた。けれどまあ、なにかあったら生きていられないというのもあながち間違いではないよなあと思う。この人は俺の最後の主。この先なにがあろうとも……もし万が一他の誰かに仕えることがあるとしても、それは結局、この人の言葉に従い、この人の思いに殉じてのこととなるだろう。
 …………。
 ったく、縁起でもない。
 そんな、自傷を悦ぶように薄っ暗いことをついつい考えちまうのは、多分、この艶めかしい薔薇の香のせい。そして、この人がこのような話にこの場所を選んだこと、それはきっと偶然じゃない。
 薔薇のもとで語られるのは、その場限りの秘密。
 ならば、どこか病んだ言葉の棘も、これくらいなら許されるだろうか。

「そう簡単に、楽にさせてはあげません」

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あなたへとどく20のことば:05 しんじさせてよ
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