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ジェイド・ピオニー

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 胡蝶の夢、という故事がある。
 ある男が蝶となる夢を見た。夢の中で男は自分が人であるということを忘れ蝶として生きていたが、目覚めたのち、その男は己は人であること、蝶となる夢を見ていたことを認識する。そしてそれは、その男が夢の中で蝶になったのか、それとも蝶が見ている夢の中で男となっているのかという疑問に繋がっていく。夢を見ている間は夢だという自覚はない……それがこの話の前提条件であるのだが、まあそれはさておき、どうやら、今の己は夢の中にいる……らしい。

 まずおかしいのは視線の低さ。子供のそれよりなお低い。そしてそこから下を向くと、見慣れたくもなかったベビーピンクの前脚。そう、前脚。ああそういう設定なのかとげんなりしつつ、手近な水場に姿を映してみれば案の定、水鏡に映るのは困り眉のような斑、そして長い……耳。
 これは夢だ。それは判る。でも何故よりによってブウサギにと思いを巡らせれば、もしかしたらという心当たりがひとつ。つい先日、普段はものわかりが良すぎるほど穏当な、けれど赤い髪の子供が絡むと途端に態度を硬化させるファブレ家の元使用人に「家畜はどっちだ」などと突っ込まれたことを思い出す。『陛下の飼っているブウサギの名前が何だったか』云々と矛先を和らげるオチをつけていたが、それでもあれは、一瞬息を呑むほど痛烈な皮肉だった。というか、ネクロマンサーの二つ名を持つこの私に面と向かってそれを言う輩がいるとは思わなかった。
 その結果がこの夢であるならば、とりあえずガイにはツインテールの導師守護役あたりをけしかけることで御礼に代えさせていただくとして……まあ、そのような些末はともかく。
 このなりで槍を扱うのは無理だ。ためしに軽く譜術を発動させてみれば、こちらはどうやら使えるらしい。知識……記憶にも欠落はなさそうだ。それなら当面、問題はない。
 さてこれからどうするか。
 青と白の宮殿、その回廊を、惰性にも似た感覚で歩む。
 肩肘張った新品将校がわひゃああと珍奇な声とともに飛びずさる(それもある意味仕方ない。ブウサギは食材として安定供給されるようになった家畜とはいえ、もともとは魔物。そんなものが宮殿を跋扈している方がおかしいのだ)一方で、どこに出しても恥ずかしくないよう厳格に訓練された、貴族の婦女と並べても遜色のない気品を備えた熟練の女官がごく自然に優雅なさまでブウサギに道を譲ったりだとか。普段なにげなく目にする光景ではあるのだが、こうして改めてみると奇妙というか、皇尊の坐す宮の日常としては如何なものかと肩を落とす気分というか。
 それにしても、この宮殿におけるブウサギの馴染みっぷりは、なかなかに盲点だ。
 先の将校のように不慣れなものはともかく、上働き下働き、軍人に一部の貴族と、宮殿内で働くさまざまな立場の人間と接触がある。そして人ではない気安さからか、捌け口のような話を一方的に聞かされることも多い。首輪に録音用の音機関でも仕込んでみれば、さぞかし面白かろう。
 また、私が私の姿ではないということは新鮮でもある。
 平素、凛とした風情の我が部下が、締まりのない笑顔で「あ、おなか空いてるのかな。うう、ゴメンね、私としてもごはんをあげたいとは思うんだけど、キミたちの管理は陛下がバッチリなさっているし、でもでもちょっとだけなら、いえ駄目よ食べさせ過ぎるのは愛情じゃあないわ!」とぐるぐる一人芝居をしてみたり、見覚えのある下士官に「うちの少将、見かけなかったか? あの人、あれで結っ構、マイペースだからなー」とぼやかれたり、書類鞄を片手に下げたセントビナーの軍基地司令官に頭を撫でられたり。
 これで『中身』が私だと知ったら、相手はどのような反応をするだろうか。
 少々意地の悪いことを考えながら見上げれば、穏やか且つ好意的な微笑を湛えたマクガヴァン将軍と目が合い、微妙に居た堪らない。
 
 やはり外見と中身が一致しないというのは、多少愉快なこともあれ、基本的には居心地が悪い。

 寄る辺のなさとでもいうのだろうか。胸がさわさわするような気分を持て余しながら、通い慣れた扉を潜る。この姿で、いつもの道がいつもと同様にフリーパスというのは、ひょっとしたら笑いどころなのかもしれない。

 至尊の君の私室は、いつも通りに乱雑で。
 その窓辺に佇む、水の乱反射に縁取られた人影。
 手にしているのは紙……書類の束。そこから目を通された分が、ひらりひらりと舞いながらその足元に散る。絵面としては悪くない、しかしその書類を誰が片付けるのかと些か散文的なことをちらりと思えば、
「お、今日は随分可愛いな? 可愛くない方のジェイド」
 青い瞳が私を見留め、玩具を見つけたかのように煌めいた。
 その揺るぎも躊躇いもない声と視線に、諦めにも似た境地で溜息をつき視線を落とす。
 幼馴染みの瞳の青は水の青……呼び水の青。与えられた水に惹かれて、身体の内側からきらきらと光が溢れる。この感情は、おそらく歓喜。
 まったくこの人は……いや、私はどうしていつもこう。
 ……そう、私は確信していた。この人なら何時如何なる時も私を見分けると……私が判るだろうと。
 たとえ我が身に何が起ころうとも、そう、ブウサギに変化しようが、私が私で、この人が私を私と認識してくれるなら、それ以外は瑣事に過ぎない。
 そう結論して、顔を上げたとき。視界に入ってきたものは、我が執務室の見慣れた天井。







 ああ、






 夢だとわかっていたくせに。

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あなたへとどく20のことば:06 わかっていたくせに
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