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アスラン・ピオニー
※『御題11 それでもあしたはくるの』を先にお読み下さい

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 その御姿をお見かけしたとき、ふと思い出したのは人魚の姫の物語。

 宮殿の主は、その住処を何処の誰より熟知していらっしゃる。
 当然と言えば当然、けれど、下働きの領域にまで通暁されているというのは珍しいだろう。流石と感じ入る一方で、正直、たちが悪いとも思う。特に、会議を前に姿を眩ました方をお捜し申し上げるようなときは。本当に油断ならぬのだ。なまじ身体能力が高いだけに、庭木の樹上や気の弱い者なら目が眩むような高さにある補修用の足場におわしたり、こともあろうか水路に潜っていらっしゃったりと、ともすると、宮勤めの者の一般的な行動範囲にもいらっしゃらないのだから。
 ただ今回は、そのように難易度の高いところではなく、大滝を臨んで風が吹き抜ける庭にいらっしゃった。この後、外せない会議が控えていることは無論、御存知で。だからそれでも比較的見つけやすいような場所にいらっしゃるのかと思うと、なにやら微笑ましい。いや、捜索を前提にしていること自体が間違っているし、このようなことで探査スキルを磨く軍人というのもマルクトだけだろう。それは判っているのだが。
 毒されている。苦笑しながら歩み寄ろうとして、足が止まる。

 風にそよぐ草は波、その合間に浮かぶ白い花は泡か真珠か。水の流れにたゆたうように横たわり、裾を引いて広がる青の衣はさながら揺らめく鰭の如く。しかし我が君は骨格といいそれを鎧う筋肉といい素晴らしく男性的な方だ、それだけなら姫物語など連想することもなかったろう。ただ、水からあがったばかりのような光沢を放つ御髪、その陰の表情が……一瞬、泣いていらっしゃるように見えて。
「……下」
 ずきりと胸を刺した得体の知れない痛みのまま口を衝いて出た尊称は、みっともなく掠れていた。そもそもこれだけ判りやすく近づけば、気配に聡いこの方のこと、声を掛けずとも既に気づいていらっしゃるはずだ。どうして己はこうも無粋なのだろうと溜息を噛み殺す。
 しかし、一度声を掛けてしまった以上、黙ったままというのも間抜けな話。そう判断して、
「陛下?」
 意識的に抑制した声を作れば、それに応じて向けられた瞳。
「フリングス将軍……」
 些か焦点がぼやけていらっしゃる様子で、珍しい呼称をその唇に乗せる。
「……?」
 本当に珍しい。公の場であるとか、意図的に含みを持たせたりとか、そのようなときにお使いになることもあるにはあるが、こう……衒いなく無防備にそう呼ばれるのはひょっとしたら初めてかもしれない。
 多少引っかかりを覚えつつも「はい」と返事をすれば、苦笑のように細められる青の瞳。それが、淋しさを含むように見えたのだが、
「ああ……いや。お前は俺を見つけるのが上手い、と思ってな」
 半身を起こしながらそう仰ったとき、その翳りはどこにも見当たらなかった。
 私を見上げる、子供のように人懐こい笑顔。そう、頑是ない、というわけでもないのだが、この方は時折、本当に子供のようだ。見つけるのが上手いというその声の響きに、なにやら隠れん坊の鬼になったような気分を味わう。
「自分が息を抜きにくるならば此処がいいと思うような場所を当たっているだけです、陛下」
 その科白に、迂闊にも、遊び心の色が顕れてしまったのかもしれない。
「なあ、もう少しだけ」
 甘えるような声と瞳。
 その絶妙のタイミングについ絆されそうになり、会議会議と脳内で呪文を唱えつつ、これ以上気持ちが揺れないように視線と話を逸らす。
「確かに此処は」
 さらりと吹き抜けた爽やかな風に髪を梳かれ、改めて午睡に最適の場所を知り尽くした方だと感心半分呆れ半分に思う。
「風通しがよくて気持ちいいですね」
 この方自身、もう少しとは言ってみただけ、甘えてみたかっただけなのだろう。飄々としているようで、責任の重さを誰よりも承知されている方だ。私などがとやかく言わずとも、押さえるところはきちりと押さえる。闊達でありながら要所を外さない在りようは至極魅力的に思う。けれど、それだけに。
「ですが、そろそろ腰を上げていただかなくては」
 私がこの方にこう進言する、その意味はあるのだろうかとも思うのだ。
 いや、意味ならばある。目先の結果は同じでも、過程の差異は大局に影響する。ましてこの方は皇帝。それでなくとも孤高の立場、ことある毎に、こう、誰かが近くに控えていると……必ずしも独りではないと思い出していただくことは、決して無益ではないはずだ。
 それが判っていてさえ、妙に自嘲的な気分になるのは、おそらく。己が、臣下としての分を弁えきれていないからなのだろう。……そう、いますこし御心の傍に在りたい、と。
「皆さん、陛下をお持ちしておりますよ」
 靄々したものを粉塗するように笑顔を作れば、
「……ああ……」
 返ってきたのは応えとも詠嘆とも受け取れる、曖昧な声。
 私の言葉が届いていないわけではない、けれど他の何事かを思案する瞳。正面から見つめていなければ判らないほど刹那のことに、ああまただと思う。
 生きてきた歳月や境遇……積んだ経験が違うのだから、同じものを見ていても感じることは違う。しかし、理解できないわけではないと思う。ふとした拍子に浮かぶ翳り、それを拭って差し上げることはできないかもしれないが、せめて共有したいと思う。
 だというのに、よぎる翳は飛燕の影。掴むことは疎か踏むことさえままならない。そもそも、いつも気に掛け目で追って、やっと視認できるかできないか。なんとも見事な自制。それを、酷く歯痒く思う。
 そして今も。私が何か切り出す前に、
「そう、そうだな」
 と呟いて物思いに終止符を打ち、さも当然のように私に向けて片手を伸ばされた。
 一瞬だけ躊躇い、その御手を取る。途端、倒れろとばかり腕にかかった力。
 ケテルブルグでの生活のせいか、この方は皇族としては異例なほど身の回りのことを御自身でなさる。だからこそ、らしからぬ貴族的な所作に、この展開はなんとなく予想していた。些細な悪戯、けれど私がこの方を支えられる機会には違いない。意地でも揺らぐものかと力を込める。
 攻防すること数瞬。それで気はお済みになったのか、面白いと面白くないを器用に混ぜ合わせた笑みを閃かせると、存外すんなり腰を上げてくださった。そして大きく身体を伸ばし、肩越しに振り返る。
「いこうか、アスラン」
 力強くも穏やかな覇気を湛えた微笑。
 この方こそ我が主と思うだに誇らしい、敬愛措く能わざるその御姿は、儚い人魚の姫ではなく海神と譬うべき。
 ただ、その光輝が完璧であるがゆえ、逆に勘繰ってしまうのだ。人魚の姫が、歩く力……手にしたその力の代償として、白刃の上を歩む痛みを堪えたように、もしかしたらこの方も……と……

 そのとき胸にすとんと落ちてきたのは。
 まるで、譜石帯から預言が降ってきたような天啓。

 人魚の姫は、泡沫の幽き最期とは裏腹に、強靱な意志の姫でもある。自ら行動する力、得たものの対価を支払う覚悟と忍耐。印象としては嫋やかであるのに、その実、姫物語の女主人公としてはかなり能動的で、周囲に流されない。姫を慈しむ姉姫たちが贈った、全てを精算する刃……それを手にしてさえ、彼女は己を見失わず、思うが儘を貫き通した。
 だが、姫が心を寄せた王子、無知の知恵者は、別の女性を伴侶に選ぶ。
 それもそのはず、二人は器、或いは身の丈が違う。
 人と人が寄り添うための心の形、それが異なっていたために想いを通わせることができなかった、姫と王子。お互いのなかに間違いなく好意と呼ばれる感情は在ったはずなのに……それでも。

 痛む素振りを見せないことが情愛の証であることもあれば、痛みを分かち合いたいと思うのもまた情。
 相手を想うが故の擦れ違いは、何処まで行っても平行線。両者はごく近しく暖かく、いずれも嘉すべき感情。けれど交わることは決してない。……或いは、手を、引かれたとき。支えたいという意志を放棄し、一緒に転がることを選べたなら、また話は違うのかもしれない。だが私は信念を曲げるつもりはない。私はこの先同じ事が起これば、何度でも支えようとするだろう。かといって、この方に節を曲げていただくなど以ての外。この方がこの方であるからこそ、私は仰ぎ望むのだから。
 まっすぐな二本の線は交わらない。
 そう、たぶん、そういうことなのだ。どれほど強く心惹かれようが、誰の所為でなく適わないこともある。

 目に見えぬ譜石があとからあとから降り注ぎ。
 心を押し潰して埋める。

 昨日は今日、今日は明日へと続くものだと何の疑問もなく思う、明るく晴れた日。
 陛下を送り届けたら別件で打ち合わせがひとつ。それは最終的な確認が主で時間通りに終わるはずだから、あとは書類仕事を少し片付けて、それから仲間と飲みに行く約束があって。
 ……口にすることもなく身ひとつに忍ばせるような想いすら、どこかで区切りをつけなければならない……そのときが来ることは、それとなく覚悟していた。けれど、その切欠が、こうもなにげなくあたりまえな一日のなかに転がっているとは思わなかった。
 第六音素の微細な結晶が舞うような陽射し。その世界の中心で、少し首を傾げて微笑む方。

「アスラン?」

 とても美しく、けれどまるでなにごともないかのようにありふれた午後。
 ああ、すべてを打ち拉ぐ土砂降りの雨を期待していたわけではないけれど。
 
 雪崩のようなインスピレーションが去ってみると、やんわりと受けとめられ、けれど踏み込ませてはいただけないもどかしさは消え失せて、妙に晴れやかな気分だけが残っていた。清々しく澄みわたり、けれどそこにはなにもない。

「はい、……陛下、の」
 なにもないはずなのに、愚かしく震える声。
「御心の……ままに」

 失われた姫の声。
 ひょっとしたらそれは天の慈悲だったのかもしれない。

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あなたへとどく20のことば:19 ふるえるこえでつむぐ
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