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■ピオニー(ガイ)
※微妙に女性向け、のような
※微妙に女性向け、のような
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たとえば、そう、ひとりの旅人がいたとしよう。
道に迷っているのか、途方に暮れた様子で立ち竦んでいる。
俺の仕事は、言ってみりゃあ何でも屋だ。そんな奴らに声を掛けることも役目のひとつ。
話を聞いて、様子を窺い、見合った道を示す。場合によっては便宜を図る。それは仕事でもあるが、趣味でもある。性分なんだろうな。適材適所に人を送り出すのは、パズルを埋めるようで、なかなか楽しい。ぴたりと嵌まれば、気分もいい。
そういうわけで。こう、迷った連中の面倒を見てやることは、取り立てて特別なことじゃあない。俺にとっては茶飯事だ。ナイフやフォークだっていっつも使ってりゃあそれなりに扱えるようにはなるだろう? って、そりゃ少しばかり乱暴な喩えだが、慣れてること、場数を踏んでることに違いはない。はたして件の旅人も、どうやら、俺の示した道筋でひとまず納得した様子。この先また考え直して違う道を選ぶとしても、適応力の高いこの調子なら上手くやっていけるだろう。そう判断してじゃあなと踵を返したんだが、その途端、はっしと手を掴まれた。
俺は、自分で言うのもなんだが、頼りがいのある、実に使い勝手のいい男だ。だから、そういうことも、ままある。適当にあしらうのも、まあ、慣れているんだが……どうもな。そいつ自身、どうして俺を引き止めちまったのか判らない、ってな顔をしている。手を離した方がいいんだろうと、それは判っているらしいのに、その手にはますます、力がこもる。理性は困惑、本能は必死。その矛盾が面白い、と思う。
結局、まだ、道を決めかねているんだろう。
そう解釈して、しばらく、連れて歩くことにした。
実を言うと、こういうことも、ないわけではない。ま、根が酔狂なんだろう。迷える子羊や、子羊と称するには些か物騒な軍人や死神や死霊使いを引っ張って歩くこともある。
その延長で、その旅人にも、迷いが晴れるまで付き合うかと、そう思ったわけだ。
再三だが、俺はそういうことに慣れているからな。あちこちの折り合いをつけるのも上手い。道が見えたなら、気持ちよく送り出してやることが、お互いのためになることも知っている。俺は道標になってやれる反面、傍にいればいるほど、道を限定してしまう。前途ある旅人には、害毒ともなりかねない。それは俺の本意じゃあない。
ただ、最近。
困ったことに、俺が傍にいてやる、ではなく、誰かが俺の傍にいてくれるってな状況が、ひどく嬉しいんだ。そろそろ潮時かとも思うんだが、手の温もりが心地良くて、な。旅立つときは後腐れなく祝福してやる、そんな覚悟はした上で、なるべくそれは『いつか』の話にしておきたいと、そう思う自分がいる。なにしろ俺が引き止めちまったら、どう繕おうが否応なく権柄尽くだ。温かい手を泥縄で縛る真似はしたくない。したくはないが……。ったく、んな判りきってるところで揺れ惑ってどうするよ? 他でもない、この俺が。
「焼きが回ったもんだ。なあ、ガイラルディア」
旅人は、少し困ったように微笑む。
相も変わらず、手は繋がれたまま。
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アンソロジーのためのエスキース
たとえば、そう、ひとりの旅人がいたとしよう。
道に迷っているのか、途方に暮れた様子で立ち竦んでいる。
俺の仕事は、言ってみりゃあ何でも屋だ。そんな奴らに声を掛けることも役目のひとつ。
話を聞いて、様子を窺い、見合った道を示す。場合によっては便宜を図る。それは仕事でもあるが、趣味でもある。性分なんだろうな。適材適所に人を送り出すのは、パズルを埋めるようで、なかなか楽しい。ぴたりと嵌まれば、気分もいい。
そういうわけで。こう、迷った連中の面倒を見てやることは、取り立てて特別なことじゃあない。俺にとっては茶飯事だ。ナイフやフォークだっていっつも使ってりゃあそれなりに扱えるようにはなるだろう? って、そりゃ少しばかり乱暴な喩えだが、慣れてること、場数を踏んでることに違いはない。はたして件の旅人も、どうやら、俺の示した道筋でひとまず納得した様子。この先また考え直して違う道を選ぶとしても、適応力の高いこの調子なら上手くやっていけるだろう。そう判断してじゃあなと踵を返したんだが、その途端、はっしと手を掴まれた。
俺は、自分で言うのもなんだが、頼りがいのある、実に使い勝手のいい男だ。だから、そういうことも、ままある。適当にあしらうのも、まあ、慣れているんだが……どうもな。そいつ自身、どうして俺を引き止めちまったのか判らない、ってな顔をしている。手を離した方がいいんだろうと、それは判っているらしいのに、その手にはますます、力がこもる。理性は困惑、本能は必死。その矛盾が面白い、と思う。
結局、まだ、道を決めかねているんだろう。
そう解釈して、しばらく、連れて歩くことにした。
実を言うと、こういうことも、ないわけではない。ま、根が酔狂なんだろう。迷える子羊や、子羊と称するには些か物騒な軍人や死神や死霊使いを引っ張って歩くこともある。
その延長で、その旅人にも、迷いが晴れるまで付き合うかと、そう思ったわけだ。
再三だが、俺はそういうことに慣れているからな。あちこちの折り合いをつけるのも上手い。道が見えたなら、気持ちよく送り出してやることが、お互いのためになることも知っている。俺は道標になってやれる反面、傍にいればいるほど、道を限定してしまう。前途ある旅人には、害毒ともなりかねない。それは俺の本意じゃあない。
ただ、最近。
困ったことに、俺が傍にいてやる、ではなく、誰かが俺の傍にいてくれるってな状況が、ひどく嬉しいんだ。そろそろ潮時かとも思うんだが、手の温もりが心地良くて、な。旅立つときは後腐れなく祝福してやる、そんな覚悟はした上で、なるべくそれは『いつか』の話にしておきたいと、そう思う自分がいる。なにしろ俺が引き止めちまったら、どう繕おうが否応なく権柄尽くだ。温かい手を泥縄で縛る真似はしたくない。したくはないが……。ったく、んな判りきってるところで揺れ惑ってどうするよ? 他でもない、この俺が。
「焼きが回ったもんだ。なあ、ガイラルディア」
旅人は、少し困ったように微笑む。
相も変わらず、手は繋がれたまま。
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アンソロジーのためのエスキース
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