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■CAST:ネビリム・ピオニー・サフィール・ジェイド
■ネビリム、ピオニーを唆す の巻
※雪国組幼少期捏造話・御注意!
■ネビリム、ピオニーを唆す の巻
※雪国組幼少期捏造話・御注意!
在りし日の歌
----------
雪。雪が降る。
真綿のように、花弁のように、なよびかに。
雪、雪が降り積む。
罪の上に、涙の上に、決意の上に。
やがて世界を揺るがす、基の歌の上にも。
「あ、ピオニー。ちょっと残ってくれる? 話したいことがあるの」
授業を終え、帰り支度をするピオニーに、ネビリムはそう声を掛けた。
サフィールはその声に振り向きかけたが、結局、扉を潜るジェイドの後ろ姿を追う。
雪国の昼は、厚く垂れ込めた雲のせいで短く感じる。外に出ると、周囲は既に薄暗かった。
教室として使われている部屋を何気なく振り返ると、硝子越しに、音素灯に照らされたネビリムとピオニー、二人の姿が見て取れた。常日頃なにかと騒々しいピオニーだが、今は、ネビリムと会話しながら、ゆったりとした、どこか曖昧な微笑みを浮かべている。珍しい、とサフィールは思う。ジェイドや僕といるとき、こんな表情はあまりしない。普段からこんな顔をしてれば、あの馬鹿面も少しは貴公子らしく見えるのに。
「ネビリム先生、ピオニーに何の話があるんだろうね」
ネビリムの様子は穏やかで、どこか楽しげだ。どうやらピオニーは怒られているわけではないらしいと思いつつ、ジェイドを振り返ったサフィールは、ああまただと重苦しい気分を味わう。
ピオニーと出会って、ジェイドは変わった。
何物にも執着せず、孤高で、美しい理論のみをその眼に映していたジェイド。
たとえ僕の声が届かなくてもいい。ジェイドがジェイドのままでいてくれるのなら。そう思っていたのに。そして今も、元に戻って欲しいと、そう思っているのに。
「ジェイド……」
庭木の影から、室のなかのネビリムとピオニーの姿を見つめたまま微動だにしないジェイドに、サフィールはおずおずと声を掛けた。本当は、こんなこと、したくはないけれど。
「ね、ねえ、ジェイド。あの位置なら、多分音を拾えるよ」
ジェイドは鋭い眼をサフィールに向けた。それはほんの一瞬のこと、声に出しては何も言わず、すぐに視線を元に戻した。それでもサフィールには充分だった。ジェイドがこちらを向いてくれたこと、そのジェイドは二人の話に興味があること。なんとなく、ピオニーの声をジェイドには聞かせたくない。聞いたらジェイドは更に遠くへ行ってしまう、そんな気がする。けれど、ジェイドは……。
ピオニーの馬鹿。大っ嫌いだあんな奴。ああ、あいつが本当に馬鹿で嫌な奴なら僕はこんな……。サフィールは泣きたいような気分のまま、音機関を操作した。幽かな駆動音にジェイドの意識が向けられたことを感じて、誇らしくも切ない。ノイズを消すように調整をかければ、思った以上にクリアな声が拾えた。
「……は……あ……るって?」
「ジェ……の譜術、サフィールの譜業。ネフリーは、方向は少し違うけれど、あなたと似た資質があると思うわ」
「先生も皆が好きなんだな」
「ふふ、そうね。私自身、ちょっと驚いているくらいよ。もともと私はダアトにいたわけだけれど……あ、そうそう。ピオニー、私はどうして此処にいると思う?」
ピオニーひとりを残してするような話だろうか。疑問に思ったサフィールだが、ジェイドが僅かに眉を寄せたことを見て取り、何かあるのだろうと会話に集中する。
「ずるいな、先生。情報が足りない。でもまあこの塾で見聞きしたことから、大きなラインは3つ、もう少し突飛なセンまで加えていいならあと2つ、そのバリエーションで他にいくつか考えられるけど、全部話す?」
ほとんど間髪入れずにそう答えて、ピオニーは首を傾げた。
「いいえ、結構よ。たとえばの話だから。いきなりこういう質問をされても困らない、普段からの観察力、洞察力、想像力、展開力、応用力。それもあなたの資質ね。広い視野で世界を捉える、バランス感覚。それは興味の対象に集中しすぎて他がなおざりになりがちな、ジェイドやサフィール、そして私にも欠けている力」
ジェイドに欠けていることなど、ない。そう思う一方で、サフィールは、ネビリムの言うことが判らないでもなかった。認めたくない、認めたくはないけれど。確かにピオニーには、ジェイドとは違う種類の魅力がある。だからこそジェイドはピオニーに……惹かれるのだ。そう、今のネビリム先生の質問も。僕は今まで、ネビリム先生がどうして此処にいるのかなんて、考えてみたこともなかった。ジェイドも……ネビリム先生が今此処にいることだけが重要で、それ以外は興味ないだろう。でも、ピオニーは違う。僕たちが不必要だと流してしまっていたことも、きちんと記憶に留めておいて、必要なとき、こうして使うことができる。それはやっぱり、才能と呼ぶべきなのかもしれない。
「で。そんなことを言う先生は、俺に何をさせたいんだ?」
「逆よ、ピオニー。あなたは何をしたいのかしら」
「……何、ってもなあ。俺、一応軟禁されてる身だし?」
殊更ふざけてみせるようなピオニーの口調に、ネビリムはお見通しとでも言うように小さく首を振った。
「個人的には、あなたがこのまま、あなたの資質を上手に伸ばすなら。そしてあなたが望むなら。私は、あなたに仕えてみるのも面白そうだと思っているの」
サフィールは眼を瞠った。思わず様子を窺うと、ジェイドの表情も強張っているように見える。当のピオニーはというと、少し目を細めただけだった。いつもくるくると表情を変えるピオニーとは思えない。
「ここだけのハナシにしてもさ。酔狂だな、先生」
師の言葉を、疑問に思うでもなく、かといって調子に乗り驕るでもなく。ネビリムの言わんとすることを正確に把握した上で惚けるピオニーに、負けず劣らず冗談めかした口調でネビリムは続ける。
「そうかしら。下心もちゃんとあるのよ? あなたが世界の均衡を担うなら、その延長でジェイドやサフィールの力になってくれるんじゃないか、なんてね」
「……ネフリーはともかく。確かに、あの二人には後援者が必要だろうなあ」
もうちょっとこのままでいたいとも思ったんだけどなと、少し、淋しそうに笑う。
ピオニーのそのような顔を、サフィールは知らない。ピオニーはいつだって脳天気で強引で迷惑ばかりかけて、本能と反射だけで生きているんじゃないかこいつと思うくらいで。普段、ネフリーよりも子供っぽいくせに、今は、ジェイドも尊敬するネビリム先生と、対等に話をしている。そのことに気が付いたサフィールは、ぐ、と唇を噛み締めた。
「先生、俺はさ。ここに来て、本当に良かったと思う。些細なことが、凄く嬉しいんだ。雪の冷たさをこの手で感じられることが嬉しい。両足で地を踏みしめて、歩けることが嬉しい。皆と出会えたことが嬉しい。ネフリーはそりゃもう可愛くって、笑ってくれると胸が暖かくなる。サフィールは口では盛大に文句を言うけど、一度交わした約束は違えないし、いくら嫌いだと言われても嫌いになんかなれない。ジェイドは……振り払われることを覚悟して繋いだ手を、握り返してくれたこと、かな。あのときの気持ちは、一生忘れないと思う。だから……」
澄んだ青い瞳が、すうっと剣呑な光を帯びる。
「ここだけの話に、しない気はあるか? もし仕える云々が先生一流の上手なら、ここまでの話にするけど」
ネビリムは、己の望んだものが目の前に現れたことを知った。この王冠のように輝く金の髪の子供は、私を先生と呼ぶ。けれど、今はそれを忘れた方がいい。此処にいるのは皇の裔。背筋を這う悪寒とも高揚ともつかない感覚を表に出さぬよう、ネビリムは努めて明るい口調を作った。
「あら。それならもともと、こんな話はしないわ」
細い髪をくしゃくしゃと掻き混ぜながら、ピオニーは目を閉じる。
「……そっか。まあこれは先生に煽られたからってわけじゃなくて、ここんところ、ずっと考えていたことなんだけどさ。ってか、それを見て取ったから先生も、このタイミングで俺にこんな話をするんだろうけど……」
ゆっくりと開いた静かな眼には奇妙な風格があり、仄かな威厳すら漂わせていた。
「先生、あなたは慧眼だ。俺はここケテルブルグに来て、桎梏から逃れることよりも『上』を目指すことを考え始めた。そこでなきゃできないことがあると知ったし、なによりやりたいことができた。だが、それは。俺の力だけではどうにもならない。勿論それ相応に勉めるが、少しどころではない運も必要だ。何年かかるかも判らない。正直、星を掴むような話だが、それでも、あなたはそれを望むか」
「ええ。……いえ、御意」
「よかろう、ゲルダ。ゲルダ・ネビリム」
「は」
躊躇いなくピオニーの前に跪いたネビリムに、窓の外の二人は凍り付いた。
「誓おう、我が名と我が意志にかけて」
尊大であることが極めて自然な、支配者の声。鷹揚な微笑。揺るぎなく輝く、王の瞳。
「誓約いたします、御身に我が忠誠を」
ネビリムは満足感とともに、差し出されたピオニーの手を取ると、恭しく唇を落とした。
「……でもま、いまのところは『先生』でいいんだよな?」
一呼吸おいて、ピオニーは破顔した。屈託のない、いつも通りの明るい笑み。ネビリムの手を引いて、立ち上がらせる。
「そうね。あなたは扱き甲斐があるしね?」
くすくすとネビリムが笑えば、
「うげ。なんだか高くつきそうな予感」
ピオニーも舌を出して戯ける。そしてその軽やかな口調のまま、さらっと言葉を紡ぐ。
「だからってわけじゃないけどさ。俺は本気だけれど、先生は今の誓約、無効でいいからな」
「……どうして?」
「先生の危惧が判るから」
「あら。私が何を心配するというの?」
「あー……面白くもない話だから、先生が微妙に明言を避けてるように、俺も口にしたくない。けど、つまり、『先生も皆が好きなんだな』ってこと。まあ随分気長だし、その上博打だなあって思うけど、俺は要するに、先生が好きな皆を守るために打つ予防策のひとつなわけだろ。でも、俺は俺で皆が好きだから、頑張ることにする。話の展開上、つい試すような言い方をしちまった俺が悪いんだけど……結局俺は俺の好きで動くんだから、先生が縛られる必要はない。……先生には、やることがあるんだろ?」
軽く息を呑んだネビリムに、ピオニーはふうわりと微笑む。
「それこそ、さっきの『先生が此処にいる理由』。
先生はダアトの第七音譜術士だったってことだけど、それ、頭に屈指のって付くんじゃないか? 実力的に導師にも面識がある、というか導師守護役とか神託の盾の総長だったとしてもおかしくないと思う。才気煥発で研究熱心な第七音譜術士が最高の環境から離れる……活動拠点を移すだけではなく、還俗までする理由って何だろうな。
たとえば、こんな筋書きはどうだ? 導師の傍で、先生は何かを知った。一番考えられるのは預言。それが、先生の気に入らないものだったら、先生はどうするだろう。俺の知る先生は気が強くてなかなかの自信家だ。『絶対』の預言にも、どうにか抗おうとするんじゃないかな。だとすると預言遵守のダアトは邪魔だ。中にいて利用する手もあるけれど、メリットとデメリットを天秤に掛けて、縁を切った……なんて、な」
この世の理を覆すことを、飄々と口にする。これもここだけの話だな、と目を眇める様子は妙に愛嬌があり、それが却って底知れない。
「研究を続けながら、危険なロニール雪山に通いつめ、才能を見つけて育てる仕事をして。理由はそれこそ想像の範囲を出ないけど、先生は、何かに備えているように見える。俺は先生も好きだからさ、邪魔したくないんだよ。俺が行く道は、皆を守るための道。けれどそれ以上に……ってか、以前に、自爆しかねない道だから」
「ピオニー……」
ネビリムは何かを言いかけたが、結局言葉を飲み込み、代わりに口の端を吊り上げた。
「あなたはとてもフェアね。でも、私は本気よ。他の皇位継承者は知らないけれど、あなたに水鏡の滝はとてもよく似合うと思うわ。それに、私の好きな皆のなかには、あなたも含まれているの」
そう片目を閉じるネビリムに、ピオニーは擽ったそうに肩を竦めた。
「やっぱ酔狂。それに、先生って案外役者だ」
「これでもダアトでは『いたずら悪魔』を張っていたのよ。でも、それを言うならピオニーだって」
「そうか? 多少体裁をつけることはあっても、俺は俺であることに変わりはないぞ」
「……っはは、あはははっ。そう、そうね……」
今、ほとんど笑顔を絶やさなかった、この子は。この会話の間だけでも、いくつの笑顔を使い分けただろう。
至って自然に、本質を変えることなく。
万民に愛される大君とは、そういうものかもしれない。
ネビリムは雪のような髪を揺らして、笑う。
「あなたを陛下と呼ぶ日を、楽しみにしているわ、我が君」
「どういうこと……? 二人とも何を言っているの。それに先生……、ね、ジェイ……」
振り仰いだサフィールが目にしたのは、いつものように冴え冴えと怜悧な無表情のジェイド。だがその拳は青白く見えるほど、固く固く握られていた。
「ジェイド……?」
その声も耳に入らない様子で、ジェイドは射抜くような視線でピオニーを一瞥すると踵を返し、決然と歩き出した。一歩一歩、怒りにも似た、熱の籠もる歩調で。
「ジェイド、ねえ、ジェイド! 待ってよ、僕を……」
置いていかないで。その声はジェイドに届かない。
ジェイドは、今のジェイドは。意図的に僕を無視しているわけじゃない。本当に僕の声が聞こえていないんだ。それなら、それでもいい。でも……今、ピオニーがジェイドの名を呼んだとしたら? ジェイドは、きっと……。
置いていかないでという思いと、いっそ立ち止まらないで欲しいという願いとの間で、サフィールは、溢れる涙を拭うことしかできなかった。
数日後、ケテルブルグで一件の火災が発生した。
それに前後してマルクト兵が何者かに殺害されるという変事が起こり、ケテルブルグ周辺には常にない……尋常ではない厳戒態勢が敷かれたが、火災についても惨殺事件についても、詳細は語られぬまま有耶無耶に終わった。
雪。雪が降る。
真綿のように、花弁のように、なよびかに。
雪、雪が降り積む。
罪の上に、涙の上に、決意の上に。
忌まわしい禍事も、少年たちの葛藤も。
雪の街に埋もれ、記憶に沈み。
すべてのことは、褪せねど遠い、在りし日の歌。
----------
【あとがき】
ケテルブルグのお話なので、タイトルは『生ひ立ちの歌』とどちらにしようか迷いましたが、ラストに合わせて、こちらにしました。好きなんです、中原中也。
ということで、捏造雪国でした。ジェイドはゲーム中で、好奇心で第七音譜術を使ったと、淡々と語りますが、なにか鬱屈したものを抱えた、その結果だったりしたら浪漫だなあと妄想した次第。たとえば、ネビリム先生やピオニーに負けたくないとか認められたいとか、二人が上を目指すなら自分も今のままでは駄目だとか。でも、その辺りの心情を限定したくない気持ちもあり、そんなわけで、ジェイドには科白が無いのでした。
----------
雪。雪が降る。
真綿のように、花弁のように、なよびかに。
雪、雪が降り積む。
罪の上に、涙の上に、決意の上に。
やがて世界を揺るがす、基の歌の上にも。
「あ、ピオニー。ちょっと残ってくれる? 話したいことがあるの」
授業を終え、帰り支度をするピオニーに、ネビリムはそう声を掛けた。
サフィールはその声に振り向きかけたが、結局、扉を潜るジェイドの後ろ姿を追う。
雪国の昼は、厚く垂れ込めた雲のせいで短く感じる。外に出ると、周囲は既に薄暗かった。
教室として使われている部屋を何気なく振り返ると、硝子越しに、音素灯に照らされたネビリムとピオニー、二人の姿が見て取れた。常日頃なにかと騒々しいピオニーだが、今は、ネビリムと会話しながら、ゆったりとした、どこか曖昧な微笑みを浮かべている。珍しい、とサフィールは思う。ジェイドや僕といるとき、こんな表情はあまりしない。普段からこんな顔をしてれば、あの馬鹿面も少しは貴公子らしく見えるのに。
「ネビリム先生、ピオニーに何の話があるんだろうね」
ネビリムの様子は穏やかで、どこか楽しげだ。どうやらピオニーは怒られているわけではないらしいと思いつつ、ジェイドを振り返ったサフィールは、ああまただと重苦しい気分を味わう。
ピオニーと出会って、ジェイドは変わった。
何物にも執着せず、孤高で、美しい理論のみをその眼に映していたジェイド。
たとえ僕の声が届かなくてもいい。ジェイドがジェイドのままでいてくれるのなら。そう思っていたのに。そして今も、元に戻って欲しいと、そう思っているのに。
「ジェイド……」
庭木の影から、室のなかのネビリムとピオニーの姿を見つめたまま微動だにしないジェイドに、サフィールはおずおずと声を掛けた。本当は、こんなこと、したくはないけれど。
「ね、ねえ、ジェイド。あの位置なら、多分音を拾えるよ」
ジェイドは鋭い眼をサフィールに向けた。それはほんの一瞬のこと、声に出しては何も言わず、すぐに視線を元に戻した。それでもサフィールには充分だった。ジェイドがこちらを向いてくれたこと、そのジェイドは二人の話に興味があること。なんとなく、ピオニーの声をジェイドには聞かせたくない。聞いたらジェイドは更に遠くへ行ってしまう、そんな気がする。けれど、ジェイドは……。
ピオニーの馬鹿。大っ嫌いだあんな奴。ああ、あいつが本当に馬鹿で嫌な奴なら僕はこんな……。サフィールは泣きたいような気分のまま、音機関を操作した。幽かな駆動音にジェイドの意識が向けられたことを感じて、誇らしくも切ない。ノイズを消すように調整をかければ、思った以上にクリアな声が拾えた。
「……は……あ……るって?」
「ジェ……の譜術、サフィールの譜業。ネフリーは、方向は少し違うけれど、あなたと似た資質があると思うわ」
「先生も皆が好きなんだな」
「ふふ、そうね。私自身、ちょっと驚いているくらいよ。もともと私はダアトにいたわけだけれど……あ、そうそう。ピオニー、私はどうして此処にいると思う?」
ピオニーひとりを残してするような話だろうか。疑問に思ったサフィールだが、ジェイドが僅かに眉を寄せたことを見て取り、何かあるのだろうと会話に集中する。
「ずるいな、先生。情報が足りない。でもまあこの塾で見聞きしたことから、大きなラインは3つ、もう少し突飛なセンまで加えていいならあと2つ、そのバリエーションで他にいくつか考えられるけど、全部話す?」
ほとんど間髪入れずにそう答えて、ピオニーは首を傾げた。
「いいえ、結構よ。たとえばの話だから。いきなりこういう質問をされても困らない、普段からの観察力、洞察力、想像力、展開力、応用力。それもあなたの資質ね。広い視野で世界を捉える、バランス感覚。それは興味の対象に集中しすぎて他がなおざりになりがちな、ジェイドやサフィール、そして私にも欠けている力」
ジェイドに欠けていることなど、ない。そう思う一方で、サフィールは、ネビリムの言うことが判らないでもなかった。認めたくない、認めたくはないけれど。確かにピオニーには、ジェイドとは違う種類の魅力がある。だからこそジェイドはピオニーに……惹かれるのだ。そう、今のネビリム先生の質問も。僕は今まで、ネビリム先生がどうして此処にいるのかなんて、考えてみたこともなかった。ジェイドも……ネビリム先生が今此処にいることだけが重要で、それ以外は興味ないだろう。でも、ピオニーは違う。僕たちが不必要だと流してしまっていたことも、きちんと記憶に留めておいて、必要なとき、こうして使うことができる。それはやっぱり、才能と呼ぶべきなのかもしれない。
「で。そんなことを言う先生は、俺に何をさせたいんだ?」
「逆よ、ピオニー。あなたは何をしたいのかしら」
「……何、ってもなあ。俺、一応軟禁されてる身だし?」
殊更ふざけてみせるようなピオニーの口調に、ネビリムはお見通しとでも言うように小さく首を振った。
「個人的には、あなたがこのまま、あなたの資質を上手に伸ばすなら。そしてあなたが望むなら。私は、あなたに仕えてみるのも面白そうだと思っているの」
サフィールは眼を瞠った。思わず様子を窺うと、ジェイドの表情も強張っているように見える。当のピオニーはというと、少し目を細めただけだった。いつもくるくると表情を変えるピオニーとは思えない。
「ここだけのハナシにしてもさ。酔狂だな、先生」
師の言葉を、疑問に思うでもなく、かといって調子に乗り驕るでもなく。ネビリムの言わんとすることを正確に把握した上で惚けるピオニーに、負けず劣らず冗談めかした口調でネビリムは続ける。
「そうかしら。下心もちゃんとあるのよ? あなたが世界の均衡を担うなら、その延長でジェイドやサフィールの力になってくれるんじゃないか、なんてね」
「……ネフリーはともかく。確かに、あの二人には後援者が必要だろうなあ」
もうちょっとこのままでいたいとも思ったんだけどなと、少し、淋しそうに笑う。
ピオニーのそのような顔を、サフィールは知らない。ピオニーはいつだって脳天気で強引で迷惑ばかりかけて、本能と反射だけで生きているんじゃないかこいつと思うくらいで。普段、ネフリーよりも子供っぽいくせに、今は、ジェイドも尊敬するネビリム先生と、対等に話をしている。そのことに気が付いたサフィールは、ぐ、と唇を噛み締めた。
「先生、俺はさ。ここに来て、本当に良かったと思う。些細なことが、凄く嬉しいんだ。雪の冷たさをこの手で感じられることが嬉しい。両足で地を踏みしめて、歩けることが嬉しい。皆と出会えたことが嬉しい。ネフリーはそりゃもう可愛くって、笑ってくれると胸が暖かくなる。サフィールは口では盛大に文句を言うけど、一度交わした約束は違えないし、いくら嫌いだと言われても嫌いになんかなれない。ジェイドは……振り払われることを覚悟して繋いだ手を、握り返してくれたこと、かな。あのときの気持ちは、一生忘れないと思う。だから……」
澄んだ青い瞳が、すうっと剣呑な光を帯びる。
「ここだけの話に、しない気はあるか? もし仕える云々が先生一流の上手なら、ここまでの話にするけど」
ネビリムは、己の望んだものが目の前に現れたことを知った。この王冠のように輝く金の髪の子供は、私を先生と呼ぶ。けれど、今はそれを忘れた方がいい。此処にいるのは皇の裔。背筋を這う悪寒とも高揚ともつかない感覚を表に出さぬよう、ネビリムは努めて明るい口調を作った。
「あら。それならもともと、こんな話はしないわ」
細い髪をくしゃくしゃと掻き混ぜながら、ピオニーは目を閉じる。
「……そっか。まあこれは先生に煽られたからってわけじゃなくて、ここんところ、ずっと考えていたことなんだけどさ。ってか、それを見て取ったから先生も、このタイミングで俺にこんな話をするんだろうけど……」
ゆっくりと開いた静かな眼には奇妙な風格があり、仄かな威厳すら漂わせていた。
「先生、あなたは慧眼だ。俺はここケテルブルグに来て、桎梏から逃れることよりも『上』を目指すことを考え始めた。そこでなきゃできないことがあると知ったし、なによりやりたいことができた。だが、それは。俺の力だけではどうにもならない。勿論それ相応に勉めるが、少しどころではない運も必要だ。何年かかるかも判らない。正直、星を掴むような話だが、それでも、あなたはそれを望むか」
「ええ。……いえ、御意」
「よかろう、ゲルダ。ゲルダ・ネビリム」
「は」
躊躇いなくピオニーの前に跪いたネビリムに、窓の外の二人は凍り付いた。
「誓おう、我が名と我が意志にかけて」
尊大であることが極めて自然な、支配者の声。鷹揚な微笑。揺るぎなく輝く、王の瞳。
「誓約いたします、御身に我が忠誠を」
ネビリムは満足感とともに、差し出されたピオニーの手を取ると、恭しく唇を落とした。
「……でもま、いまのところは『先生』でいいんだよな?」
一呼吸おいて、ピオニーは破顔した。屈託のない、いつも通りの明るい笑み。ネビリムの手を引いて、立ち上がらせる。
「そうね。あなたは扱き甲斐があるしね?」
くすくすとネビリムが笑えば、
「うげ。なんだか高くつきそうな予感」
ピオニーも舌を出して戯ける。そしてその軽やかな口調のまま、さらっと言葉を紡ぐ。
「だからってわけじゃないけどさ。俺は本気だけれど、先生は今の誓約、無効でいいからな」
「……どうして?」
「先生の危惧が判るから」
「あら。私が何を心配するというの?」
「あー……面白くもない話だから、先生が微妙に明言を避けてるように、俺も口にしたくない。けど、つまり、『先生も皆が好きなんだな』ってこと。まあ随分気長だし、その上博打だなあって思うけど、俺は要するに、先生が好きな皆を守るために打つ予防策のひとつなわけだろ。でも、俺は俺で皆が好きだから、頑張ることにする。話の展開上、つい試すような言い方をしちまった俺が悪いんだけど……結局俺は俺の好きで動くんだから、先生が縛られる必要はない。……先生には、やることがあるんだろ?」
軽く息を呑んだネビリムに、ピオニーはふうわりと微笑む。
「それこそ、さっきの『先生が此処にいる理由』。
先生はダアトの第七音譜術士だったってことだけど、それ、頭に屈指のって付くんじゃないか? 実力的に導師にも面識がある、というか導師守護役とか神託の盾の総長だったとしてもおかしくないと思う。才気煥発で研究熱心な第七音譜術士が最高の環境から離れる……活動拠点を移すだけではなく、還俗までする理由って何だろうな。
たとえば、こんな筋書きはどうだ? 導師の傍で、先生は何かを知った。一番考えられるのは預言。それが、先生の気に入らないものだったら、先生はどうするだろう。俺の知る先生は気が強くてなかなかの自信家だ。『絶対』の預言にも、どうにか抗おうとするんじゃないかな。だとすると預言遵守のダアトは邪魔だ。中にいて利用する手もあるけれど、メリットとデメリットを天秤に掛けて、縁を切った……なんて、な」
この世の理を覆すことを、飄々と口にする。これもここだけの話だな、と目を眇める様子は妙に愛嬌があり、それが却って底知れない。
「研究を続けながら、危険なロニール雪山に通いつめ、才能を見つけて育てる仕事をして。理由はそれこそ想像の範囲を出ないけど、先生は、何かに備えているように見える。俺は先生も好きだからさ、邪魔したくないんだよ。俺が行く道は、皆を守るための道。けれどそれ以上に……ってか、以前に、自爆しかねない道だから」
「ピオニー……」
ネビリムは何かを言いかけたが、結局言葉を飲み込み、代わりに口の端を吊り上げた。
「あなたはとてもフェアね。でも、私は本気よ。他の皇位継承者は知らないけれど、あなたに水鏡の滝はとてもよく似合うと思うわ。それに、私の好きな皆のなかには、あなたも含まれているの」
そう片目を閉じるネビリムに、ピオニーは擽ったそうに肩を竦めた。
「やっぱ酔狂。それに、先生って案外役者だ」
「これでもダアトでは『いたずら悪魔』を張っていたのよ。でも、それを言うならピオニーだって」
「そうか? 多少体裁をつけることはあっても、俺は俺であることに変わりはないぞ」
「……っはは、あはははっ。そう、そうね……」
今、ほとんど笑顔を絶やさなかった、この子は。この会話の間だけでも、いくつの笑顔を使い分けただろう。
至って自然に、本質を変えることなく。
万民に愛される大君とは、そういうものかもしれない。
ネビリムは雪のような髪を揺らして、笑う。
「あなたを陛下と呼ぶ日を、楽しみにしているわ、我が君」
「どういうこと……? 二人とも何を言っているの。それに先生……、ね、ジェイ……」
振り仰いだサフィールが目にしたのは、いつものように冴え冴えと怜悧な無表情のジェイド。だがその拳は青白く見えるほど、固く固く握られていた。
「ジェイド……?」
その声も耳に入らない様子で、ジェイドは射抜くような視線でピオニーを一瞥すると踵を返し、決然と歩き出した。一歩一歩、怒りにも似た、熱の籠もる歩調で。
「ジェイド、ねえ、ジェイド! 待ってよ、僕を……」
置いていかないで。その声はジェイドに届かない。
ジェイドは、今のジェイドは。意図的に僕を無視しているわけじゃない。本当に僕の声が聞こえていないんだ。それなら、それでもいい。でも……今、ピオニーがジェイドの名を呼んだとしたら? ジェイドは、きっと……。
置いていかないでという思いと、いっそ立ち止まらないで欲しいという願いとの間で、サフィールは、溢れる涙を拭うことしかできなかった。
数日後、ケテルブルグで一件の火災が発生した。
それに前後してマルクト兵が何者かに殺害されるという変事が起こり、ケテルブルグ周辺には常にない……尋常ではない厳戒態勢が敷かれたが、火災についても惨殺事件についても、詳細は語られぬまま有耶無耶に終わった。
雪。雪が降る。
真綿のように、花弁のように、なよびかに。
雪、雪が降り積む。
罪の上に、涙の上に、決意の上に。
忌まわしい禍事も、少年たちの葛藤も。
雪の街に埋もれ、記憶に沈み。
すべてのことは、褪せねど遠い、在りし日の歌。
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【あとがき】
ケテルブルグのお話なので、タイトルは『生ひ立ちの歌』とどちらにしようか迷いましたが、ラストに合わせて、こちらにしました。好きなんです、中原中也。
ということで、捏造雪国でした。ジェイドはゲーム中で、好奇心で第七音譜術を使ったと、淡々と語りますが、なにか鬱屈したものを抱えた、その結果だったりしたら浪漫だなあと妄想した次第。たとえば、ネビリム先生やピオニーに負けたくないとか認められたいとか、二人が上を目指すなら自分も今のままでは駄目だとか。でも、その辺りの心情を限定したくない気持ちもあり、そんなわけで、ジェイドには科白が無いのでした。
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