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■CAST:ジェイド・ピオニー・ガイ
■ピオニー、ガイにブウサギの散歩を押しつける の巻
■ピオニー、ガイにブウサギの散歩を押しつける の巻
おさんぽの秘密
----------
妙な間の悪さ。
それは、それとは判らぬ些細な出来事の積み重ねだったりするのだろうな、と思う。
たとえば、清掃用具一式を抱えて意気揚々と引き上げるメイドたちと擦れ違ったことだったり、融通が利く顔馴染みの兵士が見張りに立っていたことだったり、極力物音を立てまいとする剣士(というよりは使用人?)としての習い性だったり、閉じきっていない扉の……指二本分の隙間だったり。
「……そういえば、ガイはどちらに」
皇帝陛下の私室。参謀総長から直々に言付かった報告を上げた後、ふと思ってそう訊ねる。
「なんだジェイド、ガイラルディアに用か?」
「いえ。ただ此方に来ていると聞いたものですから」
そう、此処に来るとき、妙な噂を聞いたので、気になってはいたのだ。
「奴はブウサギの散歩に行ってるぞ」
「ブウサギの散歩、ですか」
ではやはり、貴族……ガルディオス伯爵がブウサギの世話をしているという話は、本当だったのか。
「ああ。なかなかの『名案』だろ?」
「そうですねえ……」
含みのある『名案』という言葉に、考えを巡らせる。この人のやることは、思いつきだったり、思いつきのようで意味があったり、意味深だが他意はなかったり。読み易いようでいて落とし穴も結構な頻度であるあたり、なかなかに侮れない。
件の、ブウサギの散歩は、まあ雑事に過ぎないが。グランコクマの宮殿で、お仕着せの使用人ではなく、貴族が手入れの行き届いたブウサギを連れていれば、その貴族は陛下の声掛かりだと一目で判る。皇帝陛下の信頼と寵愛の証と言えなくないかもしれないが、それがブウサギの世話では、格式がある連中ほど、表立って騒ぐわけにもいくまい。
「確かに、悪くないと思います」
ガイが『普通』の貴族であったら。その矜持の在処によっては、とんでもない恨みや反感を買ってしまいそうではあるが。そこを読み間違える陛下ではない。
「まあ、ガイは気にしないでしょうが」
そう、由緒正しき貴族の出、それに間違いはない。が、使用人としての立ち位置が気性に合いすぎているのも如何なものか。
「しかし、気にしないあまり……その、気付いていないかもしれませんよ」
「それならそれでいいさ。奴は今まで葛藤の連続だったろうし、ここでのんびりするのも悪かねえだろ」
書類に視線を走らせながら、半ば独り言のように呟く。やがてひとつ頷くと、その束を寝台の上に放り投げた。
「でもまあ、少なくとも、不思議には思っているはずだ。ガイラルディアは機微に聡いからな」
くるりと周囲を見回して、髪を掻き上げる様子は妙に手持ち無沙汰だ。ブウサギが散歩に出た隙を見計らってメイドの手が入り、片付いた部屋はなんとなく居心地が悪い……そんな風情に肩を竦める。
「それで、どうするとお聞きしても?」
本来、これは軍部の人間が関与すべきことではない。聞き方もおのずと微妙なものになる。だが面子が面子、この先、否応なく自分も関わることになるだろうと予測はつく。
「俺の希望としては、貴族院で上手いこと立ち回って欲しいと思ってるんだが。軍にお前がいるように、な」
案の定、返ってきた答えは身も蓋もない。
今、皇帝の支持基盤は軍にある。この人はグランコクマに舞い戻って以来、意外なほど上手く特権階級の間を渡り歩いているが、軍関係者以外の貴族を傍に置いたことはない。キムラスカと停戦協定を結んだ今、これからのことを考えるなら、軍の絡まない貴族院とのパイプを作っておくべきだと……そこまで考えて、ガイの処遇は、貴族院が権を増すことを危惧する軍へのポーズでもあるのだと気付く。
現に、聞き及んだ噂にしても。いつものことながら陛下の酔狂も困ったもの、ガルディオス伯爵もお可哀相にと、ガイの災難を他人事として面白がるようなもので、それを脅威と捉える意見は、少なくとも表面的には聞こえなかった。この皇帝が一筋縄ではいかないことは、ケテルブルグの時代から痛いほど身に沁みている自分でさえ、初めてこの話を聞いたときは苦笑したことを思うと……。
まったく、この人は。
「ガルディオス家の名家としての価値。ホドの消滅に纏わる醜聞。その醜聞とは誰の目にも無関係、むしろ被害者として認識される嫡男。ファブレ家との因縁。家柄といい境遇といい、上手く使えば面白い駒になるだろうが、半面、危険でもあるからな。ガイラルディア自身が身の振り方を決めるまで、俺の傍に置いとくさ」
「やれやれ、キナ臭い話ですね」
「貴族ってのも悪くはねえんだが。環境や教育の生む文化や品性、秩序ってのも確かにあるしな。本当に厄介なのは一部なんだが、なあ」
厄介な連中ほどヤる気がある上しつこくて敵わん、と、どこまでそう思っているのか判らない、戯けた調子で笑ってみせる。
「しかし、身の振り方と仰いますが、ガイはどう出るか判りませんよ。今はともかく、領地の件が片付けばそちらに引っ込むかもしれませんし、彼の場合、キムラスカに戻るという目もある」
「まあなあ。だがそれも、ガイラルディアの決めることだ」
「おや。それで宜しいのですか?」
「ま、俺が主君として奴の目に適えば、ついてきてくれるだろう」
「お気楽ですねえ」
「そうでもないぞ。俺は奴の敵のひとりだからな」
「それは……」
この人の所為ではない。むしろこの人は、キムラスカとのデタントを模索してきたという意味でも、技術ばかりが先走って全体的な均衡を失いつつあったフォミクリーに警鐘を鳴らしたという意味でも、出来得る限りのことをしてきた人だ。それでも、この人の立場は、それらの努力を嘲笑う。
「そうだろ。まあ、ガイラルディアからは前を向こうという意志が窺える。しかしだからといって過去がチャラになるわけじゃねえ。帝位を継ぐとはそういうことで、俺は皇帝だ」
気負うでもなく嘆くでもなく、淡々と紡がれる言葉が歯痒い。こんなところばかり聞き分けが良いというのは反則だろう。愚痴のひとつも引き出せなくて、なにが幼馴染みやら。
「しかし、」
言い募ろうとした言葉は、穏やかな瞳とゆるやかに振られた首に遮られた。
「奴は俺を利用していい。だがそれは贖罪ではない。んなことを言ったら俺の首が幾つあっても足りんからな。マルクトの国民には、俺を利用して幸せになる権利があるだけのことだ」
呆れたような溜息ひとつで、感傷を振り払う。
「……俺の傍に、とは。火種を封じるというより、やはりそちらの意味合いが強いんですか。それは……あなたの傍にこのような形でいる限り、古狸のお歴々もおいそれと手は出せないでしょうが」
「ま、懐いてくれりゃ重畳。そうは思うから、下心が全く無いといえば嘘になるが。俺が防波堤になってやれるのは、今だけだからな。いずれ何かしらの洗礼を受けることになっても、心構えさえできてりゃ随分違うだろ」
「おやおや、甘いことで」
なんだか妬けますねぇ。おまえがそんなタマかよ。ガイの靴に画鋲を仕込んだり。うははそりゃハマり具合が怖ェからヤメロ。馬鹿話で馴れ合い、息をついた絶妙のタイミングで、この皇帝は話を落とす。
「ともかく、ここの水に馴染むまではな。ガイラルディアは俺が使う」
「御意」
胸に手を当て、略式の礼を執る。
顔を見合わせて、どちらからともなく笑う。この人は昔からよく笑う人だったが、自分がこのように笑えるようになったのは、いつからだったろうかと頭の何処かでぼんやり思う。
「……それにしても気の長い話ですねえ」
名家で、複雑な因縁があるとはいえ、貴族院では一伯爵に過ぎない。断絶していたブランクも相当、当主は世間的に未知数。軍人なら軍功を立てる道もあるだろうが、貴族院という特殊な環境で使えるようになるまで育てるには、どれくらい掛かることやら。そしてそれ以前に、ガイの意志を尊重するというのだから、なんとも悠長な話である。
「本来そんなに気の長い方じゃねえんだが、そういう仕事だ。仕方ない」
言わんとするところを酌んでか、珍しく苦笑い。
「待つのは、慣れねえが。堪えるしかないこともある。お前のときもそうだった」
「……陛下」
この人が『子供らしさを楽しむ大人』だったのに対して、自分はずっと『大人びた子供』だった。大人びていた分、判りにくかった『子供』の自分を引きずり出して、背を押して、成長を促してくれた、この人。その傍近くに仕えるようになって、随分マシになったと思うが、それでもまだ待たせている……そんな気がする。
そう物思いに沈みそうになったところ、目の前に伸びてきたのは褐色の指。
その指が軍服の肩に掛かる髪を掬い。そのまま、気を逸らすなとでも言うように軽く引かれる。
「お前もだ。軍人として迅速な対応が求められる、それは判る。だが、お前はものをもう少し長い目で見た方がいい」
「それは、陛下にお任せしますよ」
「俺は最大限努力してる」
お前は目が悪いわけではないのに、妙に近視眼なところがあるからな。目的しか見えなくなるのは、軍人気質というよりは、研究者気質か。そんなことを呟きながら、こめかみから髪の中に指を差し入れ、後ろ頭を抱え込むようにして額を寄せる。
「生き急ぐようなお前を見るのはつらい」
快活な調子でさらっと告げられる言葉は、冗談なのか本気なのか。
この人のこんなところはとても狡い。
「そんなつもりは毛頭ありませんが」
「心配で心配で夜も眠れない」
心のこもる切実な声、これは冗談。
「昼間居眠りのしすぎでしょう」
さくっと切り捨てて、ゆうるりと微笑む。
「私は世に憚るタイプですからね。ご心配には及びませんよ」
(こういうのも、泥を被った気分っていうのかね)
ブウサギの散歩中、水溜まりに填ってしまった。泥足のブウサギを皇帝陛下の私室に連れて戻るわけにもいかず、人を頼んでブウサギたちを洗ってもらっている間、少しばかり遅れますよと断りを入れに来たのだが。
成り行きとはいえ、こんなことを盗み見・盗み聞きする羽目になろうとは。
確かに、ブウサギを連れて歩くようになってから感じていた違和感の正体が、これではっきりした。微妙だと危惧していた自分の貴族としての立場は思っていた以上に危うかったこと、それを陛下がフォローして下さっていたこと。ブウサギの世話や細々とした雑用を不思議に思っても不満に思ったことはなく、それを考えれば、陛下の采配は……自分が今後どういう選択をしても差し障りはなく、身の振り方を考える猶予期間を設けて下さったことを含め、大変有り難い。その厚意や心遣いが嬉しい。しかし『それだけ』でもない、こういう計らいをさりげなくできるあたり、陛下が名君と謳われるのも判る気がする。自然と頭が下がるような覇気といい、つい絆されてしまう稚気といい、人の心を擽るのが極めて巧いとも思う。もともと陛下の人となりは好ましいと思っていたうえ、流石稀代のカリスマの持ち主だ。かくいう自分も、グランコクマに腰を据えてからというもの、急速に傾倒していると、そんな自覚はある。そこまでは、いい。
だがしかし。
陛下は至尊の身とは思えないほど、気さくではある。それはそれで得難い資質だが、それにしても互いの前髪が交わる近さで会話する必要はないと思う。あのジェイドがおとなしく触れられるがままになっているというのも、なにやら不気味だ。
そしてその……三十路も半ばの野郎二人が至近距離で密談する光景を、一幅の絵画のようだと思う自分はどうかしてるし、その『絵画』に感じる、なんとなく落ち着かないような胸のモヤモヤについては深く考えてはいけない気がヒシヒシとする。
ああ、泥足ブウサギ。人に頼まず、自分で洗やよかった。
(このうえ泥沼ってのは勘弁だよな)
扉の隙間から垣間見える青い瞳に笑われた気がして、ガイは頭を抱えた。
----------
【あとがき】
裏を読もうと思うと幾らでも読める、ガイのブウサギ散歩。下手に突っ込むくらいなら『ネタとして面白いから』で留めてしまった方がオトナなのかも……と、お話を仕上げてから思ってみたり。
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妙な間の悪さ。
それは、それとは判らぬ些細な出来事の積み重ねだったりするのだろうな、と思う。
たとえば、清掃用具一式を抱えて意気揚々と引き上げるメイドたちと擦れ違ったことだったり、融通が利く顔馴染みの兵士が見張りに立っていたことだったり、極力物音を立てまいとする剣士(というよりは使用人?)としての習い性だったり、閉じきっていない扉の……指二本分の隙間だったり。
「……そういえば、ガイはどちらに」
皇帝陛下の私室。参謀総長から直々に言付かった報告を上げた後、ふと思ってそう訊ねる。
「なんだジェイド、ガイラルディアに用か?」
「いえ。ただ此方に来ていると聞いたものですから」
そう、此処に来るとき、妙な噂を聞いたので、気になってはいたのだ。
「奴はブウサギの散歩に行ってるぞ」
「ブウサギの散歩、ですか」
ではやはり、貴族……ガルディオス伯爵がブウサギの世話をしているという話は、本当だったのか。
「ああ。なかなかの『名案』だろ?」
「そうですねえ……」
含みのある『名案』という言葉に、考えを巡らせる。この人のやることは、思いつきだったり、思いつきのようで意味があったり、意味深だが他意はなかったり。読み易いようでいて落とし穴も結構な頻度であるあたり、なかなかに侮れない。
件の、ブウサギの散歩は、まあ雑事に過ぎないが。グランコクマの宮殿で、お仕着せの使用人ではなく、貴族が手入れの行き届いたブウサギを連れていれば、その貴族は陛下の声掛かりだと一目で判る。皇帝陛下の信頼と寵愛の証と言えなくないかもしれないが、それがブウサギの世話では、格式がある連中ほど、表立って騒ぐわけにもいくまい。
「確かに、悪くないと思います」
ガイが『普通』の貴族であったら。その矜持の在処によっては、とんでもない恨みや反感を買ってしまいそうではあるが。そこを読み間違える陛下ではない。
「まあ、ガイは気にしないでしょうが」
そう、由緒正しき貴族の出、それに間違いはない。が、使用人としての立ち位置が気性に合いすぎているのも如何なものか。
「しかし、気にしないあまり……その、気付いていないかもしれませんよ」
「それならそれでいいさ。奴は今まで葛藤の連続だったろうし、ここでのんびりするのも悪かねえだろ」
書類に視線を走らせながら、半ば独り言のように呟く。やがてひとつ頷くと、その束を寝台の上に放り投げた。
「でもまあ、少なくとも、不思議には思っているはずだ。ガイラルディアは機微に聡いからな」
くるりと周囲を見回して、髪を掻き上げる様子は妙に手持ち無沙汰だ。ブウサギが散歩に出た隙を見計らってメイドの手が入り、片付いた部屋はなんとなく居心地が悪い……そんな風情に肩を竦める。
「それで、どうするとお聞きしても?」
本来、これは軍部の人間が関与すべきことではない。聞き方もおのずと微妙なものになる。だが面子が面子、この先、否応なく自分も関わることになるだろうと予測はつく。
「俺の希望としては、貴族院で上手いこと立ち回って欲しいと思ってるんだが。軍にお前がいるように、な」
案の定、返ってきた答えは身も蓋もない。
今、皇帝の支持基盤は軍にある。この人はグランコクマに舞い戻って以来、意外なほど上手く特権階級の間を渡り歩いているが、軍関係者以外の貴族を傍に置いたことはない。キムラスカと停戦協定を結んだ今、これからのことを考えるなら、軍の絡まない貴族院とのパイプを作っておくべきだと……そこまで考えて、ガイの処遇は、貴族院が権を増すことを危惧する軍へのポーズでもあるのだと気付く。
現に、聞き及んだ噂にしても。いつものことながら陛下の酔狂も困ったもの、ガルディオス伯爵もお可哀相にと、ガイの災難を他人事として面白がるようなもので、それを脅威と捉える意見は、少なくとも表面的には聞こえなかった。この皇帝が一筋縄ではいかないことは、ケテルブルグの時代から痛いほど身に沁みている自分でさえ、初めてこの話を聞いたときは苦笑したことを思うと……。
まったく、この人は。
「ガルディオス家の名家としての価値。ホドの消滅に纏わる醜聞。その醜聞とは誰の目にも無関係、むしろ被害者として認識される嫡男。ファブレ家との因縁。家柄といい境遇といい、上手く使えば面白い駒になるだろうが、半面、危険でもあるからな。ガイラルディア自身が身の振り方を決めるまで、俺の傍に置いとくさ」
「やれやれ、キナ臭い話ですね」
「貴族ってのも悪くはねえんだが。環境や教育の生む文化や品性、秩序ってのも確かにあるしな。本当に厄介なのは一部なんだが、なあ」
厄介な連中ほどヤる気がある上しつこくて敵わん、と、どこまでそう思っているのか判らない、戯けた調子で笑ってみせる。
「しかし、身の振り方と仰いますが、ガイはどう出るか判りませんよ。今はともかく、領地の件が片付けばそちらに引っ込むかもしれませんし、彼の場合、キムラスカに戻るという目もある」
「まあなあ。だがそれも、ガイラルディアの決めることだ」
「おや。それで宜しいのですか?」
「ま、俺が主君として奴の目に適えば、ついてきてくれるだろう」
「お気楽ですねえ」
「そうでもないぞ。俺は奴の敵のひとりだからな」
「それは……」
この人の所為ではない。むしろこの人は、キムラスカとのデタントを模索してきたという意味でも、技術ばかりが先走って全体的な均衡を失いつつあったフォミクリーに警鐘を鳴らしたという意味でも、出来得る限りのことをしてきた人だ。それでも、この人の立場は、それらの努力を嘲笑う。
「そうだろ。まあ、ガイラルディアからは前を向こうという意志が窺える。しかしだからといって過去がチャラになるわけじゃねえ。帝位を継ぐとはそういうことで、俺は皇帝だ」
気負うでもなく嘆くでもなく、淡々と紡がれる言葉が歯痒い。こんなところばかり聞き分けが良いというのは反則だろう。愚痴のひとつも引き出せなくて、なにが幼馴染みやら。
「しかし、」
言い募ろうとした言葉は、穏やかな瞳とゆるやかに振られた首に遮られた。
「奴は俺を利用していい。だがそれは贖罪ではない。んなことを言ったら俺の首が幾つあっても足りんからな。マルクトの国民には、俺を利用して幸せになる権利があるだけのことだ」
呆れたような溜息ひとつで、感傷を振り払う。
「……俺の傍に、とは。火種を封じるというより、やはりそちらの意味合いが強いんですか。それは……あなたの傍にこのような形でいる限り、古狸のお歴々もおいそれと手は出せないでしょうが」
「ま、懐いてくれりゃ重畳。そうは思うから、下心が全く無いといえば嘘になるが。俺が防波堤になってやれるのは、今だけだからな。いずれ何かしらの洗礼を受けることになっても、心構えさえできてりゃ随分違うだろ」
「おやおや、甘いことで」
なんだか妬けますねぇ。おまえがそんなタマかよ。ガイの靴に画鋲を仕込んだり。うははそりゃハマり具合が怖ェからヤメロ。馬鹿話で馴れ合い、息をついた絶妙のタイミングで、この皇帝は話を落とす。
「ともかく、ここの水に馴染むまではな。ガイラルディアは俺が使う」
「御意」
胸に手を当て、略式の礼を執る。
顔を見合わせて、どちらからともなく笑う。この人は昔からよく笑う人だったが、自分がこのように笑えるようになったのは、いつからだったろうかと頭の何処かでぼんやり思う。
「……それにしても気の長い話ですねえ」
名家で、複雑な因縁があるとはいえ、貴族院では一伯爵に過ぎない。断絶していたブランクも相当、当主は世間的に未知数。軍人なら軍功を立てる道もあるだろうが、貴族院という特殊な環境で使えるようになるまで育てるには、どれくらい掛かることやら。そしてそれ以前に、ガイの意志を尊重するというのだから、なんとも悠長な話である。
「本来そんなに気の長い方じゃねえんだが、そういう仕事だ。仕方ない」
言わんとするところを酌んでか、珍しく苦笑い。
「待つのは、慣れねえが。堪えるしかないこともある。お前のときもそうだった」
「……陛下」
この人が『子供らしさを楽しむ大人』だったのに対して、自分はずっと『大人びた子供』だった。大人びていた分、判りにくかった『子供』の自分を引きずり出して、背を押して、成長を促してくれた、この人。その傍近くに仕えるようになって、随分マシになったと思うが、それでもまだ待たせている……そんな気がする。
そう物思いに沈みそうになったところ、目の前に伸びてきたのは褐色の指。
その指が軍服の肩に掛かる髪を掬い。そのまま、気を逸らすなとでも言うように軽く引かれる。
「お前もだ。軍人として迅速な対応が求められる、それは判る。だが、お前はものをもう少し長い目で見た方がいい」
「それは、陛下にお任せしますよ」
「俺は最大限努力してる」
お前は目が悪いわけではないのに、妙に近視眼なところがあるからな。目的しか見えなくなるのは、軍人気質というよりは、研究者気質か。そんなことを呟きながら、こめかみから髪の中に指を差し入れ、後ろ頭を抱え込むようにして額を寄せる。
「生き急ぐようなお前を見るのはつらい」
快活な調子でさらっと告げられる言葉は、冗談なのか本気なのか。
この人のこんなところはとても狡い。
「そんなつもりは毛頭ありませんが」
「心配で心配で夜も眠れない」
心のこもる切実な声、これは冗談。
「昼間居眠りのしすぎでしょう」
さくっと切り捨てて、ゆうるりと微笑む。
「私は世に憚るタイプですからね。ご心配には及びませんよ」
(こういうのも、泥を被った気分っていうのかね)
ブウサギの散歩中、水溜まりに填ってしまった。泥足のブウサギを皇帝陛下の私室に連れて戻るわけにもいかず、人を頼んでブウサギたちを洗ってもらっている間、少しばかり遅れますよと断りを入れに来たのだが。
成り行きとはいえ、こんなことを盗み見・盗み聞きする羽目になろうとは。
確かに、ブウサギを連れて歩くようになってから感じていた違和感の正体が、これではっきりした。微妙だと危惧していた自分の貴族としての立場は思っていた以上に危うかったこと、それを陛下がフォローして下さっていたこと。ブウサギの世話や細々とした雑用を不思議に思っても不満に思ったことはなく、それを考えれば、陛下の采配は……自分が今後どういう選択をしても差し障りはなく、身の振り方を考える猶予期間を設けて下さったことを含め、大変有り難い。その厚意や心遣いが嬉しい。しかし『それだけ』でもない、こういう計らいをさりげなくできるあたり、陛下が名君と謳われるのも判る気がする。自然と頭が下がるような覇気といい、つい絆されてしまう稚気といい、人の心を擽るのが極めて巧いとも思う。もともと陛下の人となりは好ましいと思っていたうえ、流石稀代のカリスマの持ち主だ。かくいう自分も、グランコクマに腰を据えてからというもの、急速に傾倒していると、そんな自覚はある。そこまでは、いい。
だがしかし。
陛下は至尊の身とは思えないほど、気さくではある。それはそれで得難い資質だが、それにしても互いの前髪が交わる近さで会話する必要はないと思う。あのジェイドがおとなしく触れられるがままになっているというのも、なにやら不気味だ。
そしてその……三十路も半ばの野郎二人が至近距離で密談する光景を、一幅の絵画のようだと思う自分はどうかしてるし、その『絵画』に感じる、なんとなく落ち着かないような胸のモヤモヤについては深く考えてはいけない気がヒシヒシとする。
ああ、泥足ブウサギ。人に頼まず、自分で洗やよかった。
(このうえ泥沼ってのは勘弁だよな)
扉の隙間から垣間見える青い瞳に笑われた気がして、ガイは頭を抱えた。
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【あとがき】
裏を読もうと思うと幾らでも読める、ガイのブウサギ散歩。下手に突っ込むくらいなら『ネタとして面白いから』で留めてしまった方がオトナなのかも……と、お話を仕上げてから思ってみたり。
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